LIVE MONSTERと少年倶楽部プレミアムと4人のKAT-TUN
世間はしゃべくりにKAT-TUN登場!(予告)に湧いてますがここでは時差ありのLIVE MONSTERと少年倶楽部プレミアムの感想を。
4人のKAT-TUNはこちらの心配や不安をぬぐい去るくらいかっこ良かったです。4人になって(発表があって)から1ヵ月くらいしか経っていないのにここまでパフォーマンスを固めた4人に驚きました。
ただ、最近の曲に多い手や足の細かな振りをぎっしり詰め込んだ振付が好きではないので、今回の楔もそこは変わっていなくてがっかりしました。それでもプレミアムの方は振付が気にならないくらいKAT-TUNは良かったです。毎回場数を踏んでいくともの凄い勢いで良くなりますよね。その完成形がライブだと思うので早くライブで見たいです。(でもカウントダウンライブは行けません涙)
振りに不満はありますが4人のフォーメーションは安定していて思ったより違和感なかったです。元々私は奇数より偶数のフォーメーションが好みで、なぜかと言えばセンターを作りにくいから。センターがいてピラミッド型に広がるフォーメーション(何と呼ぶのか知りません)は好みではないのです。四方八方に引っ張り合うような広がりのあるフォーメーションが好きです。フォーメーションに関しては6人から5人になった時よりしっくりきたくらいですが、だからと言って4人になって良かったと言ってるわけではなく、今でも出来れば5人に戻って欲しいと思ってますが... それはもう言ってもしょうがない事ですがまだ当分はぐだぐだ言いそうです。そんなに簡単に切り替えられないので。
声もやっぱり足りないと思ってしまうのはしょうがないですよね。まだ日も浅いですし。聖君の割と太くて響く低音がなくなって、それに変わる声が今のところないので、声が細くて高いなという印象です。が、楔は神秘的で儚さを伴った曲なので4人の声には合ってるのかなとも。5人になった時も最初は足りないと思いつつ、5人がバランスを取りながら完成させていったのでこれからですかね。
私は6人のKAT-TUNに衝撃を受けてファンになりました。赤西君がいなくなって一番好きなグループがこの世から消え、その消えた世界を見回してみて好きになれる音楽が一つだけあってそれが5人のKAT-TUNでした。一番がいなくなった時点でファンを止める事も出来ましたが別物として好きになれたので聴き続けました。
今回も二番目に好きな5人のKAT-TUNというグループが消えてもやっぱり好きになれる音楽が4人のKAT-TUNしか見つかりそうもないなと、まだ楔とGIMME LUVしか聴いていませんが思いました。どうしても選んでしまうんですよね。
4人になっても亀梨君がいるから応援し続けると「決めた」わけではないので、やっぱり不満があればこれからも文句を言い続けると思います。それでも現存する(大げさな言い方笑)一番好きなグループなので、6人とも5人とも別物として4人のKAT-TUNをこれからも追い続けて行くと思います。
聖くんが...
あんなに楽しみにしてたリーガルハイの放送が始まったのに全然頭に入ってこないので、ブログを更新します。
突然の事でまだ全然実感出来ていません。
本人のコメントを読んでもメンバーのコメントを読んでもまだ何がなんだか。
あのラップがあの声があのパフォーマンスがKAT-TUNからなくなる。それがただ恐ろしいです。実感出来ていないので実感出来た時の事を考えるとただ恐ろしいです。
私にとっては6人のKAT-TUNが完成形だったのでそれが崩れた赤西君の時は我を忘れるくらいショックでしたが、今回も多分それくらいには...
聖君は私にとってある意味KAT-TUNの最後の砦のような存在だったので。聖君について色々書こうと思っていたのに...
色々噂は出てましたが(ゴシップ紙の噂ではなく)、たとえそれが本当だとしても時間がかかっても待ってさえいればまた5人で活動できると思っていたのに...
ここまで現実味がないままたんたんと書いてきましたが、やっぱり悲しいです。大好きだったんです、みんな。6人とも。今も変わらず大好きで、だから悲しくてたまらないです。
木皿泉脚本ラジオドラマ「呼吸する家」
6月29日放送の木皿泉脚本、FMシアター「呼吸する家」。久しぶりの木皿さんのラジオドラマ。凄く良かったです。
<あらすじ>
末期ガンで余命宣告を受けた中年男性が、ホスピスでのさまざまな人々との出会いを通じて、自分の死と向き合っていく人生最期の奇跡の物語。
木皿さんらしい、死の暗い影を感じさせず押しつけがましくもなく、カラッと明るい、死の重さよりも生の重さをずしんと感じさせるドラマでした。
末期ガンの尼子さん(温水洋一さん)が同じく末期のダンディさん(ケーシー高峰さん)に言われた言葉。こうしている間にもどんどん終わりが近づいてくるという尼子さんに、
尼子さん、今前向いてるんだ。
俺達は後ろ向きで歩かなきゃ。
後ろ向きだと世界がどんどん広がって見えない?
前を向いてるとどんどん先が細くなってるのしか見えないんだよね。
あ、先は行きどまりだ、なんてね。
でもよく考えてごらんよ。尼子さんの後ろはその逆にどんどん広がっているんだよ。
歩けば歩くほどどんどん世界は広がる一方。
この言葉はとても木皿さんらしい素敵な言葉ですね。前を向いているから前向きとは限らない、後ろ向きでも前に進んでいる事にかわりはないんですよね。
人生の最期を迎える人が最後に見るものが、果てしなく広がる世界だとすれば、こんなに素晴らしい事はありません。
なりたいものになってから死ぬと言っていた小町さん(白石加代子さん)が見つけたなりたいもの。妊娠したヘルパーさんの子供になる事。
私、有ちゃんのお腹の子供として生まれかわる事にする
去年の同じくFMシアターで放送された木皿さんのラジオドラマ「LET IT PON!〜それでええんよ〜」の
をちょっと思い出しました。死が終わりじゃない、ということ。
すいかでも、「すいかのお墓」から芽が出てきた時に「お墓って終わりじゃないんだ。始まりなんだ」のような台詞がありました(うろ覚えです)。
こうした木皿さんのドラマに繰り返し出てくる不変のメッセージがとても好きです。
このドラマの脚本が月刊ドラマ8月号(7月18日発売)に掲載されるそうです。
月刊ドラマ8月号
文字起こししようかと思っていたのでこれは嬉しいです^^ 楽しみです。
映画「俺俺」感想(ネタばれ有)
亀梨和也主演、三木聡監督の映画「俺俺」観てきました。面白かったー!私が亀梨君のドラマや映画を観て脚本や演技で引っかかるところなく思う存分絶賛出来るのは野ブタ以来です。公開初日から観に行き既に4回観ました。それでも全然飽きない。まだまだ観たい!嬉しい!
三木監督作品は「イン・ザ・プール」「亀は意外と速く泳ぐ」「転々」「インスタント沼」、そして「時効警察」を観てますが、最初は「俺俺」も三木作品でよく言われている「脱力系コメディ」に近いものだと思っていました。ポスターもポップですし、予告映像もシュールですがコメディっぽいとも思えるし。
ですが実際観てみると笑いどころはあるもののかなりダークで不条理な世界。思いっきり好みの映画でした。
始まってすぐの摩訶不思議な音楽と立ち並ぶ要塞のような団地群。団地の隙間から覗くどんよりとした空。そこから感じたのは閉じた世界の息がつまるような圧迫感。三木監督が、日常がズレていってしまう感じをどう表現するかがこの作品のポイントとおっしゃっていましたが、日常が少しずつズレていくその始まりのような不穏さを感じました。
均がなんの気なしにしてしまった俺俺詐欺をきっかけに増殖が始まる。ある日実家に帰ると自分がいた。そしてどんどん増えてゆく劣化コピーの自分。その理由のない恐ろしさ。それが全て自分である恐ろしさ。「均」という名前も改めて考えると興味深いです。
増殖とは言っても分裂して新しく出現した自分ではなく、もともと大樹という人間がいて、それが自分になってしまったのが面白い所であり、最大の謎でもあり。大樹だけでなく他の人もそうですが。
途中ドロドロの液体が何度か出てきますが、それが今にも動き出しそうで、人間の体の中に入り込み体を乗っ取る意志を持った液体のように思えて不気味でした。コップに水を汲むシーンもよく出てきましたがドロドロの液体が蛇口からも出てくるんじゃないかと^^; でもそれも狙いだったのかなと。街中あちこちに出てくる沢山の「目」のように、均の強迫観念みたいなものが実体化したものなのかなーなんて。
大樹の母の尾行をしてる時、ピンクのドロドロに驚き飛び退く均が面白かったです。舞台挨拶レポによるとあれは亀梨君のアドリブのようで。ああいうリアクション上手いなといつも思います。運動神経、反射神経がいいなとも。
あのドロドロは何だったのか、そもそも増殖がなぜ起こったのか(きっかけじゃなくて原因)という小さな疑問から大きな疑問まで殆ど説明されていませんが私は説明がないのがいいと思いました。スッキリしないという感想も多く見かけましたが、私は説明しすぎるとあの奇妙な世界のバランスが崩れると思ったので。
ラストの均と母親の会話と均の表情も意味深で、残ったのは本当に均?という疑いも出てきますが(でもやっぱり均ですよね)、最後日常が戻ってきたけれども、前とは少し変わった日常になっていた。均が成長したせいなのかまわりの状況が変わったのか、それとも両方か。というごく普通の結論に落ち着きました。私の中では。でもパラレルワールドという解釈があっても面白いなと。
均の母親は最初は均の事を「君」と呼んでいて、最後のシーンでは「あんた」と呼んでいるんですよね。均と母親との関係もちょっと変わったのかな。ちょっと近くなったのかな。なんて。それともただの気まぐれか。
物語の結末としては割とスッキリ終わったように思いますが、前述の通り多くの疑問が残ったままなので「まだ何かあるんじゃないか」と映画が終わった後でも考えてしまいます。でもその「何だったんだろう」というのも余韻としていいんじゃないかと。
現実の世界でも全ての謎が解決されるなんて事はないのだし、結局自分が誰かなんて生きている限りずっとつきまとう疑問なのだから、なんてね(笑)。
意味のある事と意味のない事が同じ重さでまんべんなくちりばめられていて、どんな解釈をしても何かしら謎が残るんじゃないか。それを狙っているんじゃないか。なんて思いました。
感想というより思いつくままだらだらと書いてしまいましたが、私が映像や音楽とともに驚嘆したのは亀梨君の特に均の演技なんですが、これはまた別に書きたいです。多分。
そしてもう本日になってしまいましたが、6月1日にヒューマントラスト渋谷で三木聡監督と宇野常寛さんのトークイベントに行ってきます。
宇野さんと言えばこちらでも書きましたが、野ブタファンと木皿ファンにはおなじみです。「週刊 野ブタ。」では“善良な市民”さんでした。最近ではベムのパンフレットや木皿さん関係の本にも寄稿されています。
監督やスタッフの方の話を聞くのが大好きなのでとても楽しみです。そしてまた「俺俺」を観られる.:*・゜ああ幸せ.:*・゜
追記:
トークイベントすごーーーく面白かったです。「熱海の捜査官」を見てなかったのでそのあたりの話の意味がよく分からず、悔しかったので(笑)すぐ借りて見ました。なるほどー(納得)。
こちらに三木監督と宇野さんの対談が載っています。トークイベントで出た話もあり面白かったです。
→ 俺たちはキャラクター化している 三木聡×宇野常寛『俺俺』対談
野ブタ。ドラマ化のこと〜白岩玄さんのエッセイより
「文藝別冊 木皿泉」を読んでいます。「野ブタ。をプロデュース」の原作者、白岩玄さんがエッセイを寄稿されていると聞き真っ先にそこを読みました。
ドラマを観て感じた違和感。そして違和感を抱えたまま観てゆき、ある場面で強く心を揺さぶられた事。そして改めて観直してみて印象ががらりと変わった事。などを率直に書いて下さっていて、その率直さに胸を打たれました。
その場面が画像の場面なのですが(追記 : 画像が消えてしまいましたが7話で修二がまりこに話す場面です)、中途半端な引用をすると中途半端な伝わり方になるような気がするので引用はしませんが、最後の方に書かれていたこの部分だけ。
この文章を読んだ時、ドラマの修二を思ってブワッと涙がこみ上げてきました。木皿さんは僕の書いた小説を本当によく読み込んで、主人公を救ってくださったのだ。
木皿さんは以前TRIPPERのインタビューで
とおっしゃっていました。私はその人のオリジナリティは、ストーリーにあると思ってないんです。細部にある。でもそれは構成し直した途端に意味が消えてしまう。だから書いた人のエネルギーが一番感じられるところを探して、そこんとこだけは外さない、というか、そこんとこに共感できない原作物は引き受けません。
このエッセイを読んで、それがどういう事なのかやっと理解出来たような気がします。原作ファン、ドラマファン、そして亀梨君のファンにもぜひ読んで欲しいエッセイです。
そして、白岩さんはツイッターでもその事について補足して下さっています。
木皿さんエッセイの告知をたくさんリツイートしてもらったようなので少し追記を。エッセイの中でいいと言った場面を見て思ったのは、亀梨くんが人間の悲しみを表現できる(体からにじみ出させると言った方が的確かも)役者だということで、これは誰もができることではないと思う。
— 白岩玄さん (@gegenno_gen) 2013年4月17日
亀梨くんのドラマはたったひとつの恋と妖怪人間ベムしか観てないけど、どっちも一時的ではない人の悲しみがにじみ出てて、修二は亀梨くんで良かったとあらためて思ったのを覚えてる。で、そういう悲しみがあの若さでどうやって出せんのかなと考えたんやけど、きっと彼の根底に同じものがあるのかなと。
— 白岩玄さん (@gegenno_gen) 2013年4月17日
制作発表のときに本人と対談して感じたのは、すごく周りに気をつかう真面目な人なんやなということやった。部屋に入ってきて付き添いで来てた俺の姉にまで挨拶してくれてたし、カメラが回ってなくても態度が変わらん。でも初対面の人に心を開くのが早い分、傷つくことも多いんじゃないかなと思った。
— 白岩玄さん (@gegenno_gen) 2013年4月17日
気を遣うことは、心を開くことでもある。だから小さい傷をいっぱい受けてきた分、体に悲しみが蓄積されてるんやろうなと。じゃないとあそこまでの悲しみは表現できんのちゃうかな。全部想像やけど、エッセイには書き切れなかったのでここに書いときます。
— 白岩玄さん (@gegenno_gen) 2013年4月17日
亀梨君は野ブタの修二が一番自分に近い役だったと以前話していました。ザ・テレビジョンのドラマアカデミー賞主演男優賞受賞の時のコメントで「後半では役に共感し過ぎて自分自身本当に怖くなったりもしました」とも話していました。
私を含めジャニーズが苦手だった沢山の人が修二で亀梨君に惹きつけられたのは、そんな修二からにじみ出てきた亀梨君の本質の一部に反応したからなのかもしれません。
木皿食堂 第23回「ひとりメシ」
第23回 「ひとりメシ」(2013.3.3)
木皿さん(年季子さん)が実家を出て一人暮らしを始めたのは31歳の時だそうです。
家を出たらあれもしたいこれもしたいと思っていたが、結局は似たようなものを食べるし、似たような部屋になってしまう。慣性の法則だなぁと思う。と。
3月14日から始まる木皿泉さん脚本の舞台「君をほほえめば」についても触れています。
家を出た時、食べ慣れたものを食べたのは不安だったからだろう。と。この芝居を書きながら、現実を受け入れるのは難しいものだとつくづく思った。私たちが一番受け入れがたい現実は、親がいずれ死ぬということではないだろうか。子供の頃、そんなことを想像しただけで怖かった。一人暮らしを始めるというのは、まずそのことを引き受ける第一歩なのかもしれない。
一人でメシを食うということは、片手に箸を、もう片方の手に茶碗を持つように、不安と自由をうまく扱えるようになる、その手始めなのだと思う。
私も小さい頃からずっと母が死ぬのが怖かったです。父を早くに亡くしたので余計に。どうしようどうしようと不安に苛まれたあげく「そうだ!その時は私も死のう」と思い、そう思った途端すうっと心が軽くなったんですね。
実際そんな事は出来ないし、出来ないだろうとその当時も分かっていたんですが、それはある種の「おまじない」だったのかなあと。痛いの痛いのとんでけーみたいに(ちょっと違うかも笑)。
そんな事はもうとっくの昔に思わなくなりましたが、そう思わなくなった時が私にとって現実を受け入れ始めた時だったのかなあと思います(でも今もまだ途中です。きっと)。
勇気の花
2年前の今日3月11日、東日本大震災が起こりました。TVで見た映像は恐ろしく悲しく今もはっきり思い出されます。
来年も再来年もこの日が来るたび祈ります。どうか、どうか、亡くなった方達のおわす場所は暖かく苦しみのない安らかな場所でありますように。
勇気の花/KAT-TUN
〜KAT-TUN LIVE TOUR 2012 CHAIN at TOKYO DOME より
今日の田口君のラジオTAG-TUNE DRIVINGではやっぱりこの曲「勇気の花」が流れました。震災をうけて被災地の方々に向けて作られた曲。
悲しい心に寄り添った、痛みを伴った希望の曲です。KAT-TUNが歌うと、かすかな光をそうっと壊さないように大事に大事にすくい取って手渡しされたような、そんな感じ。優しい悲しい歌声。そしてその核となる強さ。
私はバラードというものが好きではないんですが、この曲は特別です。それは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくる挿話「さそりの火」を思い出すからかもしれません。自らの身体を燃やして暗闇を照らす美しい火となったさそり。
KAT-TUNが灯した火は今も燃え続けているんでしょうね。どこまでも、どこまでも。