野ブタ。ドラマ化のこと〜白岩玄さんのエッセイより
「文藝別冊 木皿泉」を読んでいます。「野ブタ。をプロデュース」の原作者、白岩玄さんがエッセイを寄稿されていると聞き真っ先にそこを読みました。
ドラマを観て感じた違和感。そして違和感を抱えたまま観てゆき、ある場面で強く心を揺さぶられた事。そして改めて観直してみて印象ががらりと変わった事。などを率直に書いて下さっていて、その率直さに胸を打たれました。
その場面が画像の場面なのですが(追記 : 画像が消えてしまいましたが7話で修二がまりこに話す場面です)、中途半端な引用をすると中途半端な伝わり方になるような気がするので引用はしませんが、最後の方に書かれていたこの部分だけ。
この文章を読んだ時、ドラマの修二を思ってブワッと涙がこみ上げてきました。木皿さんは僕の書いた小説を本当によく読み込んで、主人公を救ってくださったのだ。
木皿さんは以前TRIPPERのインタビューで
とおっしゃっていました。私はその人のオリジナリティは、ストーリーにあると思ってないんです。細部にある。でもそれは構成し直した途端に意味が消えてしまう。だから書いた人のエネルギーが一番感じられるところを探して、そこんとこだけは外さない、というか、そこんとこに共感できない原作物は引き受けません。
このエッセイを読んで、それがどういう事なのかやっと理解出来たような気がします。原作ファン、ドラマファン、そして亀梨君のファンにもぜひ読んで欲しいエッセイです。
そして、白岩さんはツイッターでもその事について補足して下さっています。
木皿さんエッセイの告知をたくさんリツイートしてもらったようなので少し追記を。エッセイの中でいいと言った場面を見て思ったのは、亀梨くんが人間の悲しみを表現できる(体からにじみ出させると言った方が的確かも)役者だということで、これは誰もができることではないと思う。
— 白岩玄さん (@gegenno_gen) 2013年4月17日
亀梨くんのドラマはたったひとつの恋と妖怪人間ベムしか観てないけど、どっちも一時的ではない人の悲しみがにじみ出てて、修二は亀梨くんで良かったとあらためて思ったのを覚えてる。で、そういう悲しみがあの若さでどうやって出せんのかなと考えたんやけど、きっと彼の根底に同じものがあるのかなと。
— 白岩玄さん (@gegenno_gen) 2013年4月17日
制作発表のときに本人と対談して感じたのは、すごく周りに気をつかう真面目な人なんやなということやった。部屋に入ってきて付き添いで来てた俺の姉にまで挨拶してくれてたし、カメラが回ってなくても態度が変わらん。でも初対面の人に心を開くのが早い分、傷つくことも多いんじゃないかなと思った。
— 白岩玄さん (@gegenno_gen) 2013年4月17日
気を遣うことは、心を開くことでもある。だから小さい傷をいっぱい受けてきた分、体に悲しみが蓄積されてるんやろうなと。じゃないとあそこまでの悲しみは表現できんのちゃうかな。全部想像やけど、エッセイには書き切れなかったのでここに書いときます。
— 白岩玄さん (@gegenno_gen) 2013年4月17日
亀梨君は野ブタの修二が一番自分に近い役だったと以前話していました。ザ・テレビジョンのドラマアカデミー賞主演男優賞受賞の時のコメントで「後半では役に共感し過ぎて自分自身本当に怖くなったりもしました」とも話していました。
私を含めジャニーズが苦手だった沢山の人が修二で亀梨君に惹きつけられたのは、そんな修二からにじみ出てきた亀梨君の本質の一部に反応したからなのかもしれません。