午前三時の月あかり

亀梨和也君と日常ごと。木皿泉さんの事なども。

野ブタ。ドラマ化のこと〜白岩玄さんのエッセイより

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「文藝別冊 木皿泉」を読んでいます。「野ブタ。をプロデュース」の原作者、白岩玄さんがエッセイを寄稿されていると聞き真っ先にそこを読みました。


ドラマを観て感じた違和感。そして違和感を抱えたまま観てゆき、ある場面で強く心を揺さぶられた事。そして改めて観直してみて印象ががらりと変わった事。などを率直に書いて下さっていて、その率直さに胸を打たれました。


その場面が画像の場面なのですが(追記 : 画像が消えてしまいましたが7話で修二がまりこに話す場面です)、中途半端な引用をすると中途半端な伝わり方になるような気がするので引用はしませんが、最後の方に書かれていたこの部分だけ。


木皿さんは僕の書いた小説を本当によく読み込んで、主人公を救ってくださったのだ。

この文章を読んだ時、ドラマの修二を思ってブワッと涙がこみ上げてきました。


木皿さんは以前TRIPPERのインタビューで


私はその人のオリジナリティは、ストーリーにあると思ってないんです。細部にある。でもそれは構成し直した途端に意味が消えてしまう。だから書いた人のエネルギーが一番感じられるところを探して、そこんとこだけは外さない、というか、そこんとこに共感できない原作物は引き受けません。

とおっしゃっていました。


このエッセイを読んで、それがどういう事なのかやっと理解出来たような気がします。原作ファン、ドラマファン、そして亀梨君のファンにもぜひ読んで欲しいエッセイです。


そして、白岩さんはツイッターでもその事について補足して下さっています。






亀梨君は野ブタの修二が一番自分に近い役だったと以前話していました。ザ・テレビジョンのドラマアカデミー賞主演男優賞受賞の時のコメントで「後半では役に共感し過ぎて自分自身本当に怖くなったりもしました」とも話していました。


私を含めジャニーズが苦手だった沢山の人が修二で亀梨君に惹きつけられたのは、そんな修二からにじみ出てきた亀梨君の本質の一部に反応したからなのかもしれません。