午前三時の月あかり

亀梨和也君と日常ごと。木皿泉さんの事なども。

木皿食堂 第17回「稼いで食べる」

第17回 「稼いで食べる」(2012.9.2)


お芝居は観るものだと思っていたのに、書くことになってしまった。稽古の初日は、どんどん近づくのに、一枚も出来ていない。相方は、サマージャンボ宝くじが当たることを、ひたすら祈って、そのお金で今回の仕事はなかったことにしてもらおうと言うが、プロデューサーに、それでは足りませんと言われてしまった。

という文章から始まる先月の木皿食堂。
夜明けのファミレスで書き飛ばし、稽古初日の午前中、ようやく初稿が出来上がったとのこと。なんとまあ。


木皿さん(年季子さん)は高校生の時に新聞に時々イラストを描いていて、それが一番最初のギャラだったそうです。ある日、祖母からもらった豆がイラストの描かれた新聞紙で包まれているのを見て、そのくしゃくしゃな新聞紙を見て、お金にかえるということはこういう事だと悟ったと。


売ってしまえば、その後、どうなっても文句は言えないのである。

お金を稼ぐのは尊いことだと思う。が、同時に、踏みつけにされることでもある。自由を得ることであり、不自由になることでもある。


食べる為に働けと子供の頃に言われたが、食べるだけならこれほどあくせく働く必要もない、ならばなぜ働くかというと、人並みの生活をするために四苦八苦しているような気もすると。


もし、食べていかなくてもいいということになっても、木皿さんはやはり働くだろう。とおっしゃっています。


何のためにと聞かれると、それは多分、人生という長い時間を自分のためだけに生きられるほど、人は強くないからだ。

今度書いた芝居「すうねるところ」は、3人の吸血鬼が人間の子供を育てる話である。不老不死で働く必要のない吸血鬼たちが、子供のために人間の生活を始める、というものだ。演じた人が、観た人が、何を思うのか、今、とてもドキドキしている。イタズラの成り行きを待っているような気分である。仕事にはそういうオマケもあるのである。


以下「すうねるところ」のラストのネタバレあります。


「すうねるところ」の吸血鬼達は、パン屋を営んでいますが、それは木皿さんもおっしゃっている通り人間の子供(マリオ)を育てるにあたって「お金」が必要だからですよね。一つ所にとどまっていたのも。


最後マリオは吸血鬼達から離れて人間の生活へと戻っていきますが、その後吸血鬼達はどうしたのかなと考えました。きっと旅に出て、世界中をまわって、そしてその後、やっぱりどこかでパン屋を営むんじゃないかなと思いました。パン屋でなくとも、人間と何かしらかかわって生きていくんじゃないかと。


劇中、マリオを拾った時の事を、えんえんとごっこ遊びのように再現する吸血鬼達が印象的でした。
長い長い終わりのない生を自分のためだけに生きるほど吸血鬼達も強くはないんじゃないかと私も木皿食堂を読んで思いました。