午前三時の月あかり

亀梨和也君と日常ごと。木皿泉さんの事なども。

「すうねるところ」2012.9.1 シアタートラム

9月1日土曜日、木皿泉さん脚本の舞台「すうねるところ」を観てきました。面白かった。
パンフレットとチラシです。パンフレットがなぜパンの形かというと、吸血鬼達はパン屋さんなのです(笑)。


すうねるところ1


「ご贔屓様へ」木皿泉 (パンフレットより抜粋)

テレビでは、観てる人は、視聴率という数字で報告されます。本当に観ているかどうか実感のないまま、三ヶ月ごとに消費されてゆきます。それは、寂しい話ですが、気楽なことでもあります。それに比べると、芝居を書くということは、顔のある人と向き合うということで、覚悟のいる事でした。


なので、劇場へ行くのは、怖いです。チケットを買って下さった人たちに、怒られるのではないか。書き飛ばした台本を、暑い中、何とか観れるモノへと、懸命に作り上げてきた役者さんたちや内藤さんに、合わす顔があるのか。さらに言うなら、私たちは、この仕事を続けていいのか?それは幕が開けば、イヤでもわかるわけで、こんな怖い仕事、思えば今までなかったような気がします。でも、それだけに、自分たちが「ここに居る」と強く思える仕事でした。


木皿さん(年季子さん)は8月30日に観劇されたそうです。木皿さんと同じ空間で木皿さん脚本の舞台を観られるなんて.:*・゜なんて羨ましい^^


吸血鬼といっても血なまぐさいシーンなど一切なく、自分達が吸血鬼だという事も忘れてしまいそうなほど人間の生活に馴染んで、でもやっぱりどこかズレている吸血鬼達。陽の光が天敵なのに朝の象徴のようなパン屋を営んでいたり。それぞれの考える自分の擬似家族における役割もバラバラで。そしてそんな吸血鬼に育てられたマリオもやっぱり普通の人とは少しズレていて。その全てにおけるズレがおかしくもあり哀しくもあり。


陽が落ちると共に開店し、陽が昇る頃に「明日、あります」という札をドアに下げて閉店する「極東パン店」。近隣の住民には「晩パン屋」と呼ばれているらしい。バンパイアにかけてあるのが細かいです。


パンといえばQ10で薬師丸さんがパンの匂いをかいだ時に「明日のにおいがする」と言ったのを思い出しました。この「明日」という日は人間と吸血鬼ではどう違うんでしょう。吸血鬼たちにとってどんな意味を持つのでしょう。


昨日も今日も明日も代わり映えのしない同じような日。そんな日を何百年と生きてきた吸血鬼達。妖怪人間ベムでは同じ不老不死でも「人を助ける」というある意味生きがいがありましたが、そんなものもなく...。


薬師丸さんは本当に吸血鬼のような方だと思いました。年を取らないという意味で。10年前と同じように可愛らしく10年後もおそらく可愛らしいままだろうと思えるような妙に説得力のある可愛らしさで、そういう意味で吸血鬼という役にぴったり合ってました。


舞台は小ネタが多く笑いどころ満載で、でも笑っても笑ってもどうしてもついてまわる切なさも確かに木皿さんの世界でした。


時間が止まったままのような吸血鬼達の生活。自由で息苦しくて、舞台という狭い空間に合っていて、現実的ではないのにその倦怠感のような密度の濃い空気が凄くリアルでした。テレビドラマでは表現出来ないものを木皿さんは作ろうとしたんだなと思いました。1時間30分弱という短い時間でしたが久しぶりに木皿さんの作品に触れてとても充実した時間でした。