午前三時の月あかり

亀梨和也君と日常ごと。木皿泉さんの事なども。

scripta no.24「ぱくりぱくられし」連載第1回

scripta no.24「ぱくりぱくられし」連載第1回


木皿泉さんの連載が「scripta」no.24から始まりました。「scripta」とは紀伊國屋書店出版部が季刊で発行する無料広報誌です(3・6・9・12月中旬発行)。


木皿泉さんお二人の対話形式で3頁。
ここでは、務さんが「弥生犬」、年季子さんが「縄文猫」というペンネームで進めていくようです。大福さんとかっぱさんじゃないんですね^^


記念すべき第1回目はSFの話から始まりました。


縄文猫 時間SFは胸がキュン!となりますね。
弥生犬 時間を越えることで、人の命のはかなさに気づかされるというか。
縄文猫 そう。時間をどうにかするというスケールの大きな話なのに、描くのはささやかな日常ですからね。
弥生犬 鳥の目と蟻の目が同時に書ける。便利です。

でもSFの教養は全くなかったので「Q10」を書く事になって頭をかかえた縄文猫さん。そこへ弥生犬さんが読むようにすすめたのが「ドラえもん短歌」。「ドラえもん」の世界観をよんだ短歌を集めた本で漫画がテーマなのに身近でリアルな歌が多いそう。


弥生犬 ボクは、この「ドラえもん短歌」に、SFの特徴が集約されていると思うんですよ。

弥生犬 「科学なんか、科学技術なんか持たなかったら、どんなに良かったか」。このテーマのリフレインが、SFの本質じゃないでしょうか。

たとえばどういう歌かというと、

「自転車で 君を家まで送ってた どこでもドアがなくてよかった 仁尾智」

縄文猫 みんな「ドラえもん」の道具なんか、なくていいって言ってますね。
弥生犬 不便をなくすことイコール幸せ、じゃないのかもしれません。
縄文猫 わかるなぁ。ほら、掃除機って便利だけど、ゴミが見えないじゃないですか。でも、箒を使うと、すごいんですよ。一日でも、すごくたまってるの。それを捨てて、あーさっぱりしたって思うんですよね。便利になる度に、私たちは、そういった実感を、ひとつひとつなくしていったのかもしれません。

SFのドラマを書くのに、SFの知識からではなく本質から入っていくのがとても木皿さんらしいです。知識はあくまでも道具ですもんね。


ちなみに縄文猫さんは電子レンジも掃除機も炊飯器も使わなくなったそうです。エコとかではなくて出すのに面倒なのと置いておくと台所が狭くなる。などの理由だそうです。便利グッズも嫌いと。


縄文猫 何かのためだけに特化したモノって、それ以外の場では全く意味を持たないってことでしょ? 生野菜を水切りする器具は便利だけど、サラダを食べない日は意味なくそこにあるわけで、それがイヤなんです。道具は多様性があってシンプルなものであって欲しい。便利グッズが増えてゆくと、整理能力のない私の台所は、混沌としてくるんですよね。
弥生犬 たしかに、地球は欲望のために混沌としてきたのかもしれない。


そういえば、去年BSで放送していた木皿泉さんのドキュメント&ドラマ「しあわせのカタチ」でも、エアコンも扇風機も必要ないとおっしゃっていましたね。暑い暑いとうちわでひたすら扇いでいたのが印象的でした。


「便利」を捨てなければ得られない何かがあるのかなあと混沌とした我が家を見て思いました^^; 掃除機や箒というそんな日常に溶け込んでいる些細な物から事から見つけ出す木皿さんは凄いですね。そんな木皿さんもまた鳥の目と蟻の目を同時に書ける稀有な方だと思います^^