午前三時の月あかり

亀梨和也君と日常ごと。木皿泉さんの事なども。

ライブDVD「COUNTDOWN LIVE 2013 KAT-TUN」

EVERY WHY HAS A WHEREFORE すべてに理由がある
I CAN FLY IN DARKNES 何度も蘇ってみせるよ


up用1-4


KAT-TUNのライブDVD見ました。凄かった。


5人になった時に感じた不安定さが微塵もなく、過去曲に物足りない曲がなかったとは言いませんが、変わらないパフォーマンス力と歌唱力の向上、増えつつある声のバリエーションと可能性が感じられるライブでした。いやライブDVDでした(ライブ行ってないので)。


5人になった時がどうとかではなくて、2度目というのが悲しいかなやっぱり大きいのかなと。1度目の訳もわからず術も見つける間もなくとりあえず続けなきゃという悲壮感がないというか。あと4人になって本当に腹をくくって、補足するのではなくグループを根本から構築しなおしたんだなと感じました。あるいは構築しなおすためのライブだったのか。


以下ツイッターでつぶやいた事とかぶるところもありますが感想を。


挨拶。真面目すぎるほど真面目で嘘がつけない人達だなと改めて。そして赤西君の時に言いたくても言えなかった事が本当に辛くて引きずってたんだなと。でも感傷に逃げるわけでもなく謝罪と今の自分達の思いを誠実に語り、その件はそこで終わりにして本編に持ち込まない潔さがとても良かったです。


4人の曲で始まり6人5人時代のメドレーをこれでもかというほどやり、最後また4人の曲で終わる構成が素晴らしい。


RESCUEは赤西君と亀梨君のI don't wanna cry on〜♪がやっぱりまだ忘れらないけれども、中丸君も声がよく出るようになったなあ。Call my nameの中低音はぞくぞくほど良いです。田口君は声量は昔からあると思っていたけれど、それに見合った歌い方が完成してきたような(素人考えです)。


EXPOSEで二手に分かれたそれぞれの雰囲気が今のKAT-TUNの理想の組み合わせかもしれません。私の中で。


近寄るんじゃねえよオーラを出してるかと思えばこっち来いよと誘う男前ビッチ亀梨上田(笑)。それぞれ違う方向を向いて煽ってるのがいいな。群れを作らない豹みたい。黒豹と黄褐色に黒斑の豹。このタッチのビジュアルバランス好きです(今は亀梨君が黒髪短髪になって悲しいです涙)。


恵まれたスタイルの良さを十分活かして、並んで踊ってるだけでKAT-TUNのスケールが一気に膨れ上がるアンドロイド田口中丸。ダンスが映える事!普通に大股で歩いてるだけで目を惹くなんてずるいよ田口君。マントのように翻る衣装の動きも計算のうちですか。


後半そんな2組がステージに集結した時の無敵さは今も昔も変わりない私達のKAT-TUN


過去メドレーは、お楽しみコーナーのようでただただ楽しそう。
HELL,NOは赤西亀梨田中の印象が強いけれどそのイメージを逆手にとった上田中丸がかっこいい。ラップはなくなってしまったけどKAT-TUNに中丸君のHBBが残ってて本当に良かった。


MCが楽しすぎて。ライブの後カンチョーについて真剣に意見を言い合うKAT-TUN(とスタッフ)。
それを再現して見せるKAT-TUNしょーもない(笑)。隙あれば下ネタにもっていこうとするのも、メンバーのボケに速攻乗っかるノリの良さもいつものこと^^


FACE to FaceとConnect & Goはまだ傷が生々しくてちょっと辛いです。曲の切なさもあって。水の演出とそれに合わせた照明が綺麗。Connect & Goのイントロがいつまでも覚めない夢の中を彷徨っているみたい。頭から抜けない悪夢のよう。


カウントダウンライブなのにその瞬間何やるか全く考えてなくて、いきなりそわそわしだすKAT-TUN(考えとけよ笑)。新年を迎えてぺこぺこ挨拶しあうKAT-TUNとJrの皆さん(可愛い)。バンドやスタッフにも挨拶は忘れません^^


& FOREVERがほんと好きで。理屈抜きの懐かしさのようなものがこみ上げてきます。「孤独を知ることで光を感じられる」とかKAT-TUNすぎて。「分かりきってる 未来は必ず変えてみせる 誓う」の「誓う」の一点の曇りもない清々しさとかもね。(DVDではそこ歌っていません)


COSMIC CHILDは何と言っても市ヶ谷のダンスバトル。田口君、衣装の前を閉めてくれたら更に更にアンドロイド対決っぽくていいのにな。微笑をたたえて揺れてるタッチは清水玲子さんの漫画に出て来るセクサロイドみたい。人間の相手は出来るけど生殖能力はない、みたいな(ひどい言われ方笑)。


ブログを読んでくださってる方はほぼKAT-TUNファンだと思いますが、念の為(それ以外の方へのステマも含めて)、市ヶ谷とは田口中丸のコンビ名です。タッチは亀梨上田。ロバ丸は上田中丸。友達部は亀梨田口。爺孫は亀梨中丸。田口上田コンビは私は上田口と呼んでいますが他にもあったかな。ま、そんな感じです^^


BOUNCE GIRLは配信のみでCD発売されてないのを今でも恨んでます(涙)。非対応機器だったので音源がないんです。こんなかっこいい曲なのに。楽しい、かっこいい、楽しいのエンドレス。


そして始まるPHOENIX。紅蓮の炎に導かれるようにKAT-TUN登場。どんな儀式だよ。もうね、圧巻の一言。


火や水を操っているというより衝突を繰り返している地球誕生の瞬間のよう。マグマと水蒸気が噴き出してる異様な美しさの中、磁気を帯びて立っている4人。その気迫のこもった歌声。


亀梨君がサングラスをして威圧してるのも、上田君が狂気じみた目をして歌っているのも、田口君の静かな仁王立ちも、中丸君の悪魔のささやきも、全て、輝く事を決めた人達の圧倒的な意思の力を見せつけられているようでした。


FIRE and ICEはそうして生まれた奇跡の星、青い地球でしょうか。なんてね。水の柱の前に立つ4人はチロチロと燃える青い炎のよう。


PHOENIXとFIRE and ICEの中丸君の英語のささやきが本当にかっこいい。FIRE and ICEの田口君の天にまで届きそうなまっすぐな歌声。上田君のさっきとはうって変ってのソフトな歌声(と人間に戻った表情笑)。そしてやっぱりKAT-TUNの主軸となる亀梨君の声。


あれだけの量の水と火を使いながら演出に埋もれないKAT-TUNがやっぱりすごいなと。メンバーが浮き上がって見えますもん。


PHOENIXで生まれ変わりFIRE and ICEで完成したKAT-TUNの澄みきったBLESSはアクアリウムのよう。会場全体が水槽みたい。最初と最後の音が空気を送り込むエアポンプのポコポコいう音のようですっかり浄化された気分(笑)。ミニアルバムの時にも書きましたが、それぞれの高音のバリエーションが本当に素晴らしい。綺麗。最後定番のバラードじゃなくて良かったなあ。


アンコールの4Uは清々しいメンバーの表情が印象的で、良かったねぇ良かったねぇとしみじみと思ってしまいました。輝ける場所に居続ける難しさ、なんて事を考えながら。


そしてこれがちゃんと映像化されて良かったなあと。次は今度こそブルーレイでお願いします。
後でちょくちょく直すと思いますが、ひとまず感想はここまで。

「ハルナガニ」2014.4.26 シアタートラム

木皿泉さん脚本の舞台「ハルナガニ」を観にシアタートラムへ行ってきました。


ハルナガニ1


脚本 : 木皿泉
演出 : 内藤裕敬
原作 : 藤野千夜 小説「君のいた日々」
出演 : 薬師丸ひろ子 細田善彦 菊池亜希子 菅原大吉/渡辺いっけい


「ハルナガニ」とは
「春永に」と副詞的に用いられる「春の日の長い季節」を指す言葉。「いずれ春永に」とすると「いつか暇な時にお会いしましょう」という別れの挨拶になる。能の別れの言葉や、三島由紀夫が手紙の結びとして好んで使ったことでも知られる。

INTRODUCTION
どこにでもあるようなマンションの一室。
一年前に妻兼母の久里子を亡くして以来、春生と息子・亜土夢はこの部屋で二人暮らしらしい。
ところが、その日の夕方に久里子が普段どおり会社から帰宅する。
久里子は「一年前死んだのは春生」だと言う。
亜土夢は必死に父に母を、母に父の存在を証明しようとするが失敗。
疲れ果てた亜土夢が自室に戻ったあとは互いに「会いたいなぁ」と繰り返すばかり。
翌朝、久里子には夫婦共通の友人だった春生の会社の西沢が、春生には同じく会社の部下の三浦が訪ねてくる。


ねじれた世界。
五人の想いがすれ違う。

パンフレットの木皿さんの文章を読むと、夫婦は別の空間で生きているのか、違う空間に生きているのか、二人とももう亡くなっているのか、原作と演出家の考えと脚本家の考えは皆違うようです。


どれが本当かをはっきりさせるより、何を本当と信じたいのかという方が大事なのでは、と木皿さんはおっしゃっています。


伝言ゲームというものがあります。伝えてゆくうちに、最初と最後がなんだか不思議に違ってくるという、あれです。この芝居も、そんな感じなのではないかと思います。
原作を読んだ私たちの解釈。それを読んでさらに演出家の内藤さんの解釈が加わってゆく。今日は、そんなゲームの果てをお見せしようというわけです。


今日、芝居を観て、あなたが感じたことこそ本当のことです。それを、しっかり握りしめ、家までおっことさないよう気をつけてお帰り下さい。

と。なので私は私が感じた事が本当だと思う事にします。


私は、夫婦はどちらも(おそらく一度に)亡くなっていて、残された亜土夢を心配するあまり、それぞれ自分は生きていると思い込んで残像のように生活を続けているのかなと思いました。


春生は自分は生き残ったと思うから久里子が見えない。久里子は自分が生き残ったと思うから春生が見えない。とか。


あるいは、残された亜土夢の見ている幸せな夢なのかも。その幸せで寂しい夢に呼ばれた春生と久里子が夢に入り込み夢に住み着いているのかも。なんてちょっとセンチメンタルに飛躍してみたり(笑)。


すうねるところの時は「木皿さんだなあ」と終わってまず思いましたが、今回は「舞台だなあ」と強く思いました。すうねるところに比べてより舞台らしい空間の使い方をされたのかな、舞台での自由を手に入れたのかな、なんて素人なりに思いました。


春生が久里子の貼っていた湿布を「久里子さんの皮膚」と言った時、亜土夢と一緒に私もぎょっとしました。


これ多分映像で見たらコミカルなリアクションに笑っていたと思うんですよね。それが生の舞台だとダイレクトに物の質感が伝わってくる。その生々しさ。


映像だと映像ならではの演出が楽しめるわけですが。生の舞台を観る機会があまりないので、改めてその違いが面白いなと思ったり。


見えている者見えていない者含めそこに存在するすべての者が食卓について食べるのが手巻き寿司というのが、また切ない気分になりました。それぞれの思いが交錯して全然通じ合っていないのに、食べているのが幸せな家族の象徴のような手巻き寿司。


薬師丸ひろ子さんの久里子は今回も可愛らしくて、でもすうねるところでは年齢不詳の可愛らしさだったのが、今回はちゃんと「母」であり「妻」でした。春生が久里子を思って泣くのがとっても分かります。


渡辺いっけいさんの春生は、久里子を思って歌うところも、湿布を貼るところも、棒で天を突くところも、笑えるところなんですが、コミカルな動きが体全体で「寂しい寂しい」と言っているようで笑いながら切なくなってしまいました。


亜土夢は複雑な役だと思いますが、細田善彦君は淡々と観察しているようで段々と混乱していく様子が丁寧で良かったです。他の役はどんな感じなんだろうとちょっと見てみたくなりました。


最後時間が遡り、赤ちゃんの亜土夢と春生と久里子の他愛もないやりとりが続きます。それを照明の当たっていない食卓について見ている西沢と三浦の二人は私たち観客と同じ目線なのでしょうか。


確かに日常の一部だった、今はもうない幻のような家族の光景は、誰もが持っている懐かしい心象風景のようでした。古い8ミリのカタカタという音がしそうな映像。いつまでも頭から抜けない。それを見ている二人(と私たち観客)。


三浦の見た二つの人影はやっぱり春生と久里子だったんでしょうね。私も三浦と同じようにあの家に住みたいな
と思いました。そんな静かな余韻の残る舞台でした。




−追記−
今年の3月8日に放送された木皿泉さん脚本のラジオドラマ「どこかで家族」が第51回ギャラクシー賞ラジオ部門に入賞されました。おめでとうございます.:*・゜
最終選考の結果は、6月4日(水)開催『第51回ギャラクシー賞贈賞式』で発表とのことです。大賞とれるといいな^^


FMシアター「どこかで家族」


第51回ギャラクシー賞入賞作品一覧

木皿泉脚本ラジオドラマ「どこかで家族」

3月8日に放送された木皿泉さん脚本のラジオドラマ「どこかで家族」すごく良かったです。


番組HP

9年ぶりの再会は、‘家族をやめる’ための旅だった。


東日本大震災で罹災し、地元で暮らすことが難しくなった4人の家族。
母と息子は遠く離れた四国・愛媛へ。父と娘は地元に残り暮らしを立て直そうとする。
当初は、一時的に離れるだけのはずだったが、「自分のせいで家族を壊してしまった。」「会いたいなんて言っていいのか?」「今さら会って何ができる?」そんな思いを抱えたまま、目の前のことに向き合うだけで精いっぱいの毎日。元どおりになるきっかけを失ったままバラバラの時間だけが過ぎてゆく。
―それから9年後。2020年、東京オリンピックを機に、一家は再会を果たす。
〈ゆるし〉とは、〈救い〉とは、そして〈生きること〉とは……。木皿泉が描く、家族の物語。


ツイッターでつぶやいた感想(ネタバレあり)




感想、あとで追加するかもしれません。


そういえばCREAに載っていたそうですが、秋に木皿泉さん脚本のドラマがあるそうですね。詳細はまだみたいですが。河野Pは4月から「弱くても勝てます」が始まるので河野Pとのコンビではないでしょうが、久しぶりのドラマなので楽しみです^^

亀梨君お誕生日おめでとう

亀梨和也君、28歳のお誕生日おめでとう.:*・゜


去年(2013/2/23)の日記


まさかこの「身が引きちぎられるほどの辛い思い」をまたする事になろうとは...


それでも私はこちらを選びます。KAT-TUNのいる方を。
そしてやっぱり去年と1ミリも変わらぬ気持ちでこの日を迎えました。それが全て。


お誕生日おめでとう。素晴らしい一年になりますように.:*・゜

映画「俺俺」感想その2

MAQUIA連載「亀カメラ」より


オレ、演じる役や仕事によって、自分を図形みたいにイメージして身体をつくるの。「俺俺」とか「東京バンドワゴン」みたいに普通の男子を演じる時は丸い体型、野球の時は四角で、アイドルの時は尖った三角(笑)。

という亀梨君のテキストを読んで、確かに均は丸かったなあと思いながら俺俺の亀梨君について改めて書きたくなりました。感想というか映画のパンフレットやオーディオコメンタリーの内容について。


私は野ブタを見てまず俳優として亀梨君のファンになりました。なんかいい表情をするな、雰囲気のある人だなと。その後色々なドラマで主演を演じていくのを見て、影のある役や感情を表に出す演技は突出して良いけどそれ以外の何気ない普通の演技はまだまだだなとも思ってました(偉そうでごめんね^^;)。


普通の役を普通に演じると空気みたいに思える時もあって、普通の人を主役としての存在感を持たせながら演じるって大変なんだなと改めて思ったりもしました。


ベムは普通の人どころか妖怪人間ですし(笑)、俺俺もまた33役というからには特異な役が多いんだろうなと思ってましたが、その俺俺ではメインでありながら一番普通の均の演技にとにかくもうびっくりしてしまって。今まで見た事のない表情が次から次へと出てきてそれら全てが自然で凄く凄く良かったんです。


ハンバーガーショップのシーン(本物の大樹の携帯を盗むところ)のオーディオコメンタリー部分、

三木 「均は亀梨さんの顔が普段とは違うんですよね。明らかに。こんなに顔って違うもんなのかと。割と初期の撮影だったと思うんだけど。既にもうこの時点で普段の顔とは全く違う均の顔になってるのは凄いなと思いました。」


亀梨 「僕も普通に普通にというか。普段仕事やる時はどっちかといえばクッと力を入れてて。どんだけ力入れないかっていうところを均の時は意識しました。」

というコメントもありましたが、まさにその携帯を見ながら何か考えてる表情をみて一番最初に「おおっ!」と思ったのでした。


あと三木監督もお気に入りの表情とおっしゃっていましたが、大樹の家で大樹の写真の顔が自分の顔になって驚いてる所とか、サヤカの夫の声が小さくて「すいません。ぜんっぜん聴こえないんですけど」と言う所とか。ほんと面白い。上手いなーと。


均は姿勢も腰から曲げるようにして猫背気味でお腹もわざと出すようにしてたそうで、だからかメイン3人のうちで(同じ人が演じてるにもかかわらず)一番身長が低かったですし、歩き方も全部変えていましたよね。共演の加瀬亮さんも、亀梨君の歩いている後姿だけでメイン3人のうちの誰かが分かってしまい役者として脅威を感じたとおっしゃっていました。


給水塔の見える階段を駆け上がっていくシーンが最初と最後にありましたが、これは撮影初日に一緒に撮ってるとコメンタリーで言ってました。ダメな自分と成長した自分を初日に撮ったそうで、


亀梨 「その変化をほんの10分くらいで作らないといけない。」
三木 「1ヵ月半くらいの旅の先にある顔をしないといけない。」


と。俺山のシーンもまとめて最初の方に撮ったそうで、いわば変化前と変化後を最初に撮ってその後その途中経過を撮って行ったんですね。切り替えがとてつもなく大変そう...


均の事ばかりですが、今まで見た事ない顔といえば大樹が一番でした。カフェで均と話す大樹の表情とか、3人が初めて会う駅前の大樹の表情とか。あとナオが俺を一人削除してきたと俺山で言った時の「溝の口か」と言う大樹とか。クールキャラでもかっこつけ成分が皆無の何考えてるのかわからないつくりもののような顔。


亀梨君も、大樹は無表情を更に極めて自分でやっておきながら段々蝋人形みたいに見えてきたそう(そりゃ怖いわ笑)。三木監督もだから大樹は段々と気持ち悪くなっていったというような事をおっしゃっていました。コメンタリーで。


俺俺は上野耕路さんの音楽も素晴らしくて、サントラとしてちゃんと発売して欲しかったです。ブルーレイの特典につけるだけじゃなくて。運命の変わり目に流れるメインテーマ曲とも言える「俺の罪」や「バトる俺(ゴルトベルク)」「殺戮の俺」「死んでいる俺」などただただ圧倒されるんですが、なんといっても女性ヴォーカルの「Kyrie eleison (主よ、憐れみたまえ)」が好きです。


この曲が流れるシーンもいいんですよね。均と大樹が別れるシーン(コメンタリーでここが均のある意味完成形と亀梨君が言ってました)から電車でトンネルをくぐり、均目線で風景を追っていき最後に均が鏡越しに見える。讃美歌のような美しい曲と声と最初の頃とは別人のような何かを決意した均の表情がとても良いです。


パンフレットより(映画の感想はと聞かれて)

上野 「映画として面白いのは勿論なのですが、亀梨君の演技がすごかった!これから先、相当な俳優になるんじゃないかな。それとやっぱり彼自身もミュージシャンだからか、いろんな音楽をつけても恥ずかしい感じには絶対にならないんですよ。音楽だけが浮くということがないんですよね。」


三木 「亀梨君は音楽と親和性がある上に、その役柄としてちゃんと映画の画面に存在することもできる。ものすごい可能性がある人だと思うのですが、さらに出世した時にもう二度と三木組の現場には来てくれない気がして、それが心配です(笑)。


そういえば大奥に出演した聖君も主演の堺さんから、


「彼は最初から最後までずっと京都弁なので、それは大変だと思います。ただ、彼は音楽をやっているだけに耳が良く、聞くことで耳コピできるみたいで。僕はそれができないので、すごいなと。」


と、そして中丸君も去年の主演ドラマ、変身インタビュアーの憂鬱で三木監督から、


三木 「共演者によると、中丸君はリズム感がいいんだろうと言ってました。役者があるセリフを言う場合、セリフとセリフの間にセリフを落としていくという感覚があると思うんですけど、中丸君はそのリズム感がすごくて、気持ちいいとこに落ちていくと。

−中略−

ボイスパーカッションとかを含めて、日常的にリズムに対するセンスがあるんでしょうね。そのリズム感については彼と初めて共演した人の何人かも言っていたし、僕が見ていても感じるので、彼に備わっているものなんだと思います。」

というコメントをいただいていました。


「いろんな音楽をつけても恥ずかしい感じには絶対にならない」というのは逆もあるのかなと思いました。亀梨君だけじゃなくてKAT-TUNみんなですが。


KAT-TUNてソロPVを見れば分かりますが、一人一人が物語を背負った演出が良く似合うというか。演劇的とは違うかもしれませんがドラマや映画的なものを音楽やパフォに無意識に持ち込んでいるな、一人一人にそういう要素があるのかなと思う時があります。


だからライブのド派手でドラマティックな演出も似合うし恥ずかしくならないし、ゴージャスな衣装に負けてない、火や水だって操っちゃうぞみたいな(笑)。ビジュアルだけのせいじゃないとずっと思ってきました。他のグループにない個性もそこじゃないかと。


話が逸れました。


俺俺は色々な国で公開され三木監督も各メディアのインタビューを受けたそうですが、そこで良く聞かれたのが「あのキャラクター(亀梨君)はどうやって見つけてきたんだ?なぜああいう事が出来たのか?」だそうです。


特典DVDより

三木 「どうやって見つけてきたんだってよく聞かれましたね。外国のメディアの人には。ああいう風にキャラクターをスイッチしていくみたいな演技方法論てもうちょっと言えば、それも記事に書かれたんだけどロバート・デ・ニーロとかああいうタイプの演技の切り替えじゃない。だから亀梨君のあのスイッチしていく感じの芝居というのは外国の人にとっては新鮮だったという印象は受けましたね。よく聞かれたんで。


彼はエンターテイナーであり、J-POPの歌手であり、コメンテーターでありパーソナリティーでありドラマの俳優である。それを日常の中で常にそういう事をスイッチしていく彼の感覚を映画の中で活かそうと思ったということを説明したんですけど。それ凄い納得してましたね。」

コメンタリーより

三木 「亀梨さんのキャラクターを演じ分けるという演劇的な方法以外のスイッチしていくやり方みたいなのが凄い鮮度がありましたよね。


普段はドラマとか映画とかの時にはそういう(キャラクターを演じ分ける)お芝居だと思うんだけど、今回はそのチャンネルじゃないチャンネルを使ってくれたのがこの俺俺にある種のリアリティをもたらしたんだろうなと思いました。」

オーディオコメンタリーが凄く面白くて、一見意味のないシーンに思えて実は重要な意味があったり(例えば洗濯機おばさんのシーンはあそこで確実に電気を消して鍵を閉めた事を印象付ける為にあるとか)、やたら均が殴られたり蹴られたりするけれど、誰が均に触ったかというのを手掛かりに見て行くと色々分かるとか、あちこちに出てくる液体についてとか、内容についてももっともっと書きたいんですが長くなるのでこのへんで。また別に書けたらいいな。


なんかただ誉めてるだけのブログになってしまいましたが(笑)、私が手放しで絶賛出来る作品はめったにないのでたまにはいいですよね^^;

「冬眠する熊に添い寝してごらん」2014.1.30 シアターコクーン

Bunkamura シアターコクーン 「冬眠する熊に添い寝してごらん」


作:古川日出男 演出:蜷川幸雄
出演:上田竜也 井上芳雄 鈴木杏 勝村政信 他


添い寝熊2


行ってきました添い寝熊(あるいは冬眠熊?)。
蜷川さんが「波」に掲載された舞台初日三週間前のインタビューで、


俳優は、情熱のレベルが高いから僕はすごく楽です。-(中略)- 戯曲の中に心揺さぶられる「情念の地震」のようなものがあって、みんなそれに乗せられて走るんでしょう。

とおっしゃっていましたが、まさに観客であるこちらも「情念の地震」にゆさぶられた3時間45分でした。


難解と聞いていたので、その場で全部理解しようとはせず(しようと思っても無理でしたが^^;)ある程度手放して登場人物の行動や心の動きなどを注意して観るようにしたのですがそれがかえって良かったです。


新潮に台本版が掲載されていたので、帰ってきてからゆっくり読みました。

いや、理解出来ていないと思うんですがなんとなく腑に落ちたというか...。これ読んだ方がいいですね絶対。観た後に。


ツイッターではネタバレになるためほとんどつぶやけなかったんですがここでは思いっきりネタバレ有の感想を。考察はとうてい無理なのでいつも通り思いついた事をだらだらと。


熊猟師の子孫である川下一と多根彦の兄弟。多根彦の婚約者で犬の血を引く詩人のひばり。時代は、明治時代の日本の石油村と大正時代のシベリア、そして現代を行ったり来たり。


川下兄弟は熊の血を引いていて(熊と契約を交わした=契ったってそういう事ですよね?)、その熊の血を引く一と犬の血を引くひばりが契り、血が混ざり、兄弟の愛憎も混ざり、回転寿司は回り時代は重なり、混沌の中で響き渡る二つの銃声。悲劇。それを導いているような操っているような、時代を行き来する半透明の熊人間と二頭の犬。と傍観者的な富山の薬売り。


悲劇の後、蜂蜜を舐めた一は熊の時間に行ったんでしょうか。熊猟師も。うーん、そう解釈したけどどうなんだろ。


多根彦とひばりが予定通り結婚していたらまた違っていたんでしょうね。あの悲劇には愛憎というとてつもなく大きな燃料が必要で。燃料それ自体が欲望する。燃える水、原子の火、セックス。「エネルギーは欲望する」


エネルギーの使い方を間違えると小さなきっかけで国の歴史さえ変わってしまう。国も人も滅びに向かうしかない。「百年の想像力を持たない人間は、二十年と生きられない」という言葉は普通に考えるとそう思えるんですがもっと深い意味もありそうだし...


川下家の家訓「汝、齢二十五にて一子を儲けよ」の二十五歳のタイムリミットというのは熊の寿命とも関係があるのかな。なんとなく。祖父もまだ生きているので短命というわけではなさそうですが。


舞台美術が素晴らしく巨大な大仏に圧倒されました。ト書きをそのまま映した事は賛否両論なのかな?私はそれすら美術の一部のようで言葉やお経でがんじがらめになったような圧迫感があり、それが運命そのもののようで効果的だったように思えました。


どなたかの感想で大仏に映し出される般若心経は耳なし芳一のようと。そう、そんな感じ。熊や犬の血の呪いが平家の怨霊とも重なったり。


大仏が犬仏に変わり般若心経が「犬即是人 人即是犬(イヌソクゼヒト ヒトソクゼイヌ)」と異形の聖句に変わるところ、最後の犬と回転するベルトコンベアで重なる二つの時代のシーンが圧巻でした。前半の回転寿司のシーンはただ楽しい。あんな空間の使い方が出来るのが舞台なんですね。


恋人を取られても、兄を悲劇のヒーローにする復讐しか出来ない多根彦が憐れで、憎んでもぬぐいきれない兄への愛情が拙い子供のそれのようで。なのにエリートサラリーマン。七回自殺しようとしても未遂に終わり入院しても有給休暇に充てて何事もなかったかのように会社に行き、よく働く。「川下君が死のうとしつづけていることに誰も気づかない」というひばりの祖母の言葉が痛かったなあ。


この狂いかけてる多根彦が良かったので、一に電話するシーンではもう一歩先の狂気が見たかったなというのが正直な感想です。ひたひたと迫りくるようなぞっとするような狂気を。でも、多根彦のキャラからするとああいった分かりやすい痛々しい狂気が正解なのでしょうね。冒頭からして空のベビーカーですし。


一は蜷川さんのイメージでは松岡修造さんだそうですが、井上芳雄さんが演じると暑っ苦しくない情熱に色気と品を加えたような(修造さんが下品と言ってるわけではありません笑)。ただ立っているだけだと清潔感のある品の良さが際立っているのに話し出すとぱあっと華やぐようで舞台に立つ人なんだなと。情熱過剰でも飄々としていてとても魅力的な一でした。そりゃひばりも惚れるなって笑。


鈴木杏ちゃんのひばりはファムファタールというよりエキセントリックな女の子のようでした。客席登場の時に席が近かったんですが、気が付いたら浮かび上がるように立っていてゾッとしました。2度目に登場した時もゾッとしました。立ち姿が既に詩をまとっている詩人そのもので。祖母や多根彦や一の前では可愛らしい女性らしい女性なんですけどね。女優さんだなあ。


エネルギーは欲望するとか刺激されるとか同じ台詞を違う人が言ったり、マジナイとか密会とかベルトコンベアーとか無数の母親達とか気になる言葉が何度か出てきたり、堂々巡りのような台詞まわしや言葉の遊びや文節の区切りや、古川さんの独特の世界なんでしょうか。台本版だけ読んでもとても面白いんですが、舞台は視覚からの情報に聴覚からの情報も加わりなんとも壮大な世界でした。面白かったです。もう一回観たかったな。

KAT-TUN ミニアルバム「楔 -kusabi-」

今更ですがミニアルバムの感想を。感想というか音楽の知識がないので曲の印象をだらだらと(全曲は断念しました)。CHAINはアルバムとしては正直ピンとこなかったんですがこのアルバムは結構好きです。


FIRE and ICE
アルバムの中ではこの曲が一番好きです。KAT-TUN独特の切ない疾走感がきたきた!という感じ(笑)。楔の感想でも書きましたが、4人になって聖君の低音がなくなり声に儚さが増しましたが、楔やこの曲ではその「足りない」という焦燥や渇望が逆に武器になっているような。

中盤の中丸君と上田君のソロ、がむしゃらに走り続けてきた者の脆さがフッと出てきたような甘い無垢な声が良いです。そしてそれでも嵐に向かって突っ走るしかない絶対零度の現実真っ只中のKAT-TUN4人の歌うサビ。また追い立てるような泣きのギターが効いてる効いてる(笑)。これが現在進行形のKAT-TUNなんですね。


PHOENIX
この曲はFIRE and ICEの次に好きです。またまたカラオケで歌えそうもない曲を!というファンのぼやき(という名の自担G自慢)が聞こえてきそう(笑)。

北欧あたりのシンフォニックメタルみたい。あんなに激しくはないですが。私は昔ドイツや北欧のハードロックやヘビィメタルをよく聴いていたのでオーケストレーションとロックを融合した、ゴシックの世界がぴたりとはまるような曲が大好きなのです。ドリーム・シアター(これはアメリカのバンド)とか好きだったなあ。

NMPから始まりSOLDIERを経てたどり着いた壮大なる組曲のしめくくりのよう(でもないかまだ続きそう)な曲。ヨーロッパの古城と吹きすさぶ風と青白い月のイメージ。


BLESS
この曲は高音のオンパレードに驚き、高音でもそれぞれの特徴がよく出ているその声のバリエーションに驚きました。特に中丸君と田口君のファルセットがゾクゾクするくらい良いです。男性のファルセットに逃げる(高音を出す時に地声からいきなり裏声になる)歌い方が苦手なんですが、そんな突然の切り替えもなく自然で、地声からファルセットへと自在にふわふわと漂っているような声が心地良いです。全員ここまで高音で歌うアイドルグループって珍しいんじゃないでしょうか。歌えるグループになったなと改めて思いました。


FANTASTIC PLANET
これも前に書きましたが私はやっぱり亀梨君のあの色気を含んだ少し掠れた声が世界一好きだなあと。最初の「FANTASTIC PLANET〜♪」でまずやられます。いい声だなあ。この曲も好きです。

一昔前の女性アイドルが歌ったらイケイケのバブリーな曲になりそう。今のKAT-TUNが歌うとやっぱりちょっと違うなあ。なんだろ、真夜中の貸切りの遊園地みたい。よくロックスターがやるやつ。まばゆい様々な色の光の中ぐるぐる回る無人のメリーゴーランドみたいな(なんのこっちゃ笑)。要するに一夜限りの夢の世界みたいなイメージなんですが伝わりにくい^_^; 終わった後に妙な余韻の残る曲です。


MONSTER NIGHT
誰もが期待していた(かは分かりませんが私の周辺ではそうだった)上田君のソロ。最近は見事に外れがないです。PVを含めた感想ですが、曲名を聞いた時にものすごい世界が広がってそうと思った通りのものすごい世界。

モチーフとしては洋楽でもちょくちょく見かけますが、ちゃんと上田君の世界になってるなあと。ゴージャスと良い意味でのチープさのブレンド具合が。借りてきたっぽくない。曲だけ聴いてもその世界観が十分楽しめて好きです。



楔はシングルだったらもっと手軽に一般の人に手に取ってもらえたのかなと少し残念ではあります。良い曲だけに。中丸君の主演ドラマ「変身インタビュアーの憂鬱」の主題歌ですが、あまりその事について宣伝出来ていないのが更に残念です。もったいないなー。

まだまだ書きたい事はありますが、またポエムに走りそうなのでこのへんで。