午前三時の月あかり

亀梨和也君と日常ごと。木皿泉さんの事なども。

映画「美しい星」

2017年5月26日公開「美しい星

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原作 : 三島由紀夫
監督 : 吉田大八
脚本 : 吉田大八、甲斐聖太郎
音楽 : 渡邊琢磨
出演 : リリー・フランキー亀梨和也橋本愛中嶋朋子佐々木蔵之介 他

 


美しい星観ました。
ものすごいものを観てしまった。
 
亀梨君が出演した映画の中では、俺俺が一番好きなんだけれども、この美しい星もそれに並びました。すごく面白かった。。。
 
俺俺の時も「なんだったんだろう今のは」と頭がぐるぐるしながら、観終わってすぐにまた観たいと思い、気がつけば何度も映画館に通っていましたが、今回も同じ。しかし上映回数が少なくて時間が合わない(涙)。こういう映画がシネコンで上映されているだけでもすごい事なんだけど。吉田監督のティーチインも行きたかったな。

映画は原作よりSFぽかったです。原作の大杉家はその時代を知らない私から見ると浮き世離れした家族のように思えたけれども、映画では皆とても人間くさい。それぞれが行き詰まっているバラバラな家族。とても現代的。
 
自称宇宙人の非現実的なシーンと超現実的な地球人の母親のシーンが交互にくる。人間なのか宇宙人なのか、現実なのか幻覚なのか、奇妙だけど滑稽で、緻密かと思えばチープで、最後に行き着くのは生と死だし、両極端なものがどんどん入り混じっていく。
 
劇伴がまた良くて(すぐにサントラ買いました)、ここでもテクノから民族音楽風のものまで。宇宙からの未知なる音から地中から突き上げるようなリズムまで、色々な角度から刺激してくる。
 
同時多発覚醒のシーンはすさまじかったです。サブリミナル効果のような、映像と音の洪水に飲み込まれそう。儀式のような手の振り、エレベーターのループ、美しい水は崩れ、そして円盤が現れる。これシンクロニティと言うんだろうか。薬でトリップしているみたい(実際暁子は薬を飲まされてトリップしてるんだろうけど)。音楽が止んだ後も耳鳴りのような余韻が残る。
 
何回か映画館に通っていると、ここで「くるぞくるぞ」とぞくぞくしてしまう。ブルーレイでまた観るのも楽しみだけど、このぞくぞくは映画館で観たからこそ味わえたものだと思います。このシーンだけでも料金のもとはとれたと思えたくらい。ほんとここの演出はすごかった。
 
映画には、地球や宇宙を連想させるものもたくさん出てきました。
重一郎の周りを衛星のようにぐるぐる回りながら話す黒木とか、暁子と竹宮の料亭のシーンでカメラの動きが惑星のようだと思ったら金環日食と言ってる人がいてそれだ!と思ったり(ツイッターありがたい笑)。円盤を呼ぶシーンもでしたねそれ。
 
暁子が持っている竹宮のCDが反射して部屋の天井にも映る円盤。
暁子や重一郎が着ている服も青系が多かった。夜空に星をちりばめたようなワンピースやバックも。
 
あとは水。美しい地球の美しい水。
大杉家の家中に積み上げられた水。覚醒の時に崩れる水。
家全体が水の惑星、地球になったみたいだ。
 
体にいいからと家族にやたら水を飲ませようとする伊余子。でも伊余子が食事の途中で吐いたり、金沢に行った重一郎が路上で吐いてたり、暁子のつわりとか、やたら吐く場面もあったり。
家のトイレから出てきた重一郎の周りにも水水水。
 
リリーさんは、怪演と呼ぶには違和感があるほど自然に狂ってました。あの火星人のポーズとか、あのタメ方とか最高(笑)。だんだんエスカレートしていく様が笑えるけど笑えない。絶妙。
 
橋本愛ちゃんは美しかったです。重一郎と暁子の病室のシーンは、監督からナイフでゆっくりと刺すような感じで、と言われたそうで、そして愛ちゃんも “お父さん...死ね...” という思いで演じたそうだけれども、「火星人も真実を知りたいですか」の言い方の冷たさにぎょっとしました。美しさが凶器になった瞬間。すぐに後悔して泣きながら謝るのも、リリーさんの表情も含めてすごいシーンだったな。
 
中嶋朋子さんはさすがの上手さ。なんともいえない知人宅でのやりとりの演技の細かさ。次第に怪しい水ビジネスに夢中になっていくけれども、手を出した理由が、もう一度家族で海外旅行に行きたいと思ったからだとか、どこまでも現実的なのが切ない。
 
病院で伊余子が子供二人と話すシーンで、「だってあなたたちも太陽系なんとかでしょ」という言葉になんか笑ってしまいました。家族らしいけれどへんな会話(笑)。母はすごい。何があっても母のまま。この人が一番へんなのかも。
 
蔵之介さんは登場からもう宇宙人。原作の仙台の三人組も地球人だと思ったんだけど、映画の黒木は絶対宇宙人ですね。あれが人間のはずがない(笑)。まばたきしないどころか顔の下半分しか動かしていないのでは。目は猛禽類のよう。話し方も現実離れしている。でも感情のないロボットのようではなく、細胞レベルで人間と違う生物という感じ。やっぱり宇宙人。
 
黒木役には最初カラコンが用意されていて、黒目が大きいものだとか少しずつ違うものがいくつかあり、色々つけてみたけれど結局取った時にそれが一番いいとなり、一周回ってそのままが一番宇宙人ぽかった。と舞台挨拶で話が出ていました。
 
黒木の母星がどこなのか分からないけど、自分は原作に出てきた白鳥座61番星の宇宙人だと思って演じていたとも蔵之介さんは話してました。ですよねー。
 
で、亀梨君ですよ。まず思ったのが “黒い” (笑)。もともと色が真っ白な人だからなんか新鮮で。メッセンジャーだから焼けてるだろうという事で、でも仕事もあって陽に当たるタイミングもなくて黒く塗ったそうな。
 
街で会った(おそらくは野球部の)後輩は、もう日には焼けておらずスーツを着込んできちんと就職もしている。自由でいいっすねーと言いつつそこはかとなく感じる意地の悪さ。原作よりも屈折していて、暗い野心とままならぬ怒りを奥にたぎらせている一雄。
 
亀梨君のキャスティングについて吉田大八監督のインタビューからいくつか引用すると、
 
「息子がそれまでの父親を殺して、新しい父親を選ぶということを原作よりもはっきりやろうとしていたとき、亀梨くんをテレビで見て、『家に帰ってこの息子にじろっとにらまれたら、父親はすごく嫌だろうな』と思ったんです(笑)。映画『バンクーバーの朝日』でご一緒したカメラマンの近藤(龍人)さんがものすごく褒めていて、俳優として興味を持っていたということもあります。」
 
「亀梨さんの眼差しの強さが一雄に合うと思いましたし、これは僕自身の勝手な思いですが、彼のまとっている、いろいろな出来事を経験した上での悲しみのようなものが、この映画のある種の悲劇性みたいなものを加速させるようにも感じて、僕のなかでは亀梨さんに演じてもらう必然性がありました。」
 
「音楽やダンスをやってる人の凄さでしょうか、亀梨君は狙ったトーンの音がすぐ出せる。僕の意図するところの理解も本当に早くて、どんどん高みを目指せました。まぎれもない表現者としてのプロフェッショナルがいる、という感じでした。」
 
など。嬉しい言葉だなあ。と、ついつい引用が多くなってしまう。
 
あと他の出演者で印象に残っているのは藤原季節さん。カルテットやCRISISと最近ちょくちょくTVでも見かけるけれど、この映画では暁子の大学の広告研究会の栗田役。話し方がいちいちちゃらくて上手くて面白くて、名刺の出し方がいやな感じでほんと上手くて面白くて、ほんと面白かった、男栗田(笑)。
 
原作では山場でもある討論の場に一雄はいませんが、映画では一雄を交えた討論になっていました。
 
吉田「この映画における僕のチャレンジは、一雄と重一郎、政治家秘書の黒木の、三つどもえの討論シーンです。原作では、あの場面に一雄はいないんです。でも僕はあそこで、息子が父にどう立ち向かうか、そして自分じゃない敵の手で倒されていく父の姿を息子がどう見守るかを描きたかった。それがこの話を映画にする上でのキーになると思っていました。」
 
父親を、親世代を糾弾するように討論は始まる。父親がダメージを受けているのを察して段々と変わっていく一雄の表情が良かったです。屋上へ上がった時もカメラは一雄をずっと追っていて、他の人達がパラパラと屋上に上がって来る中、ゆっくりと父親に近づき茫然と見ている。
 
「自然とは、宇宙と地球がエネルギーを交換するプロセスと結果でしかない」と言った黒木は、結局は人類が生き残ろうと滅ぼうとどうでもよかったんだろうな。いずれ人類は滅ぶからどのタイミングでくるかそれを観察しているだけ、という気がしました。重一郎のような人間が出てくると息子の一雄を使ってつついてみたり。
 
討論の場面でも、当の地球人達は周りでぽかんと見ているだけというのがなんともおかしい。と同時にこうして人間は自分達の身の周りの危機を最後の最後まで実感せずに滅びていくのだろうかと薄ら寒く思ったり。最後に出てくる赤いボタンも、ああして「いかにもなボタン」を目の前で押されて初めて世界の終わりを意識するんだろうか、人間は。終わるのは人間の世界で地球は変わらずあり続けるのだけれども。
 
あの赤いボタン、舞台挨拶でも「今の時代にあのアナログなボタンて」と盛り上がっていました(監督も「そんなに言われると思わなかった(笑)」と)。
 
例えばあそこでスマホのようなものを取り出しタッチしたとすると、テロのような被害の大きい爆発を連想してしまう。それがあの赤いボタンだと即「核のボタン」だと思い、イコール世界の終わりを連想して震え上がってしまう。
 
でも見た目はおもちゃのようなチープなボタン。中を開けてみてもなんにもない。でも黒木は確かに何かのボタンを押したのだろうし、カウントダウンは確かに始まったのだろうし。
 
それがどこからくるのか何がくるのか分からない恐怖。でもあのボタンは本当にただのおもちゃだったのかもしれない。本当の事は分からない。
 
病室で、父と息子、父と娘、夫と妻、母と息子と娘。バラバラだった家族が集まってくる。そしてやっと家族四人が揃った(四人揃うシーンて最後のここだけですよね)。

そして観た人によって解釈が分かれる最後のシーン。
 
吉田大八監督はインタビューで、
 
「実際に起こっていることと人が見ているものとは何が違うんだろう、究極的には同じことなんじゃないか、と僕は思っているんです。そして原作がその境地まで達しているので、映画もそこまで行き着かなければダメだと思った。その分、観る人によって解釈の分かれる開かれたラストになったかと思いますが、僕が原作に感じた魅力も、読み手の想像によって結末を自由に解釈できる、まさにそこでしたから。死んだらどうなるかなんて誰にも正解は分からないんだから、あのラストが本当に起こったことなのか重一郎のイメージの中の世界なのかは、どっちも正解だし、どっちも違うと言えば違うという以外にないんです。」
 
と話していました。
 
私は、重一郎も一雄も暁子も宇宙人だと思い込んでいた地球人で、最後の最後に本物の円盤が出現した、と思いました。
 
自分の奥底に澱のように積もっていった疎外感や劣等感や虚無感は自分を宇宙人とする事で優越感や使命感となってすくい上げられ、孤独や絶望はSFではロマンに変換され、その恍惚の中脳内で実体化したのが円盤なのかなーなんて。
 
人間の頭の中こそ果てしなく広がる宇宙(コスモ)だ。どこまでも都合がよくてたくましい。そして最後ついに本物の円盤を呼んだ、と。
 
TV局のADが「UFOって、結局ロマンだと思うんですよ」と言っていたので、私もそう思いたい気持ちもあって(笑)。
 
家族で円盤を見た後、重一郎は死に、意識だけが円盤に乗ったのかなと思いました。でも実際の円盤は多くの目撃情報と同じくすぐ消えたと思ったので、重一郎が乗った(と思ってる)円盤の内側も宇宙人の声も、あちら側(あの世)からのお迎えを脳内変換したものじゃないかなと。SF風に。円盤で重一郎が生きている時と同じ姿をしているのは肉体の記憶のせい。そして死の直前の家族で円盤を見上げている映像を、重一郎の消えゆく意識が見ているのかな。走馬灯の最後の映像なのかもしれない。ちょっと違うか。でもきっとそのようなもの。
 
月刊シナリオに美しい星のシナリオが載りました。シナリオの最後はこんなト書きで締めくくられています。
 
“どこかの小さい山の上、その頂きに走ってくる四人の家族が見える。そして空を見上げる。祈るように。”
 
映画では遠くて家族それぞれの表情は見えないけれど、映画のパンフレットの最後の頁にその場面が載っています。このシナリオの最後の言葉のままの表情で。
 
“祈るように”
 
朴木Pはこの映画を「吉田監督のこれまでの作品を貫く “あなたの見ているものは本当ですか?” という問いかけの到達点ともいえる作品」と話していました。
 
本当にそう。こうして感想を書いているそばからまた解釈が変わってくるような、何度でも振り出しに戻されるような映画でした。