午前三時の月あかり

亀梨和也君と日常ごと。木皿泉さんの事なども。

映画「PとJK」

2017年3月25日公開「PとJK

原作 : 三次マキ
監督 : 廣木隆一
脚本 : 吉川菜美
音楽 : 大橋好規
出演 : 亀梨和也、土屋太鳳、高杉真宙玉城ティナ西畑大吾 他 

 


 

PとJK観ました。泣きました。まさかの。

 

正直、映画が発表になった時は「なんで今更キュンキュン映画?」と思いました。そこを通らずにこれまでこれたのに、それがラッキーだとも思ってたのになんで今更と。亀梨君のファンとしてね。

 

でも廣木監督と聞いて、去年のSPドラマ「美しき三つの嘘」の「炎」が好きだったので、そこでちょっと期待が持てました。このドラマの土屋太鳳ちゃんもすごく良かったしね。監督の映画はちゃんと観た事がなかったので発表の後いくつか観ました。今放送中の廣木監督が総監督のドラマ「火花」もすごく良いです。

 

それでも根強いキュンキュンアレルギーのせいでまだ半信半疑だったけど、実際観たらキュンキュンはあえて抑えてある印象で、どちらかと言えば重い内容でした。あの予告に期待して行った人は楽しめたんだろうかと心配になるほど。脚本にあったキュンキュン部分も監督が結構削っていったと亀梨君も話してたっけ。

 

監督はインタビューで、

廣木「少女漫画が原作なんだけど“結婚で縛られた”っていうのかな、そういう男と女を描けるんじゃないかなと思って受けたんです。僕、相米(慎二)さんの『翔んだカップル』も割合に好きなんでね。結婚が男と女の中でどういう在り方をするのかっていうのをやってみたかったというのが一番大きかった」

とおっしゃってました。

 

なるほどなーと思ったので感想を残す事にしました。解釈が人と違うかもしれないけど、思った事をそのまま書きます。思いっきりネタバレしてます。

 

映画を観てまず思ったのが、よく言われているように引きの画と長回しが多い事。大事な台詞を話している時も引きが多くて、でもアップになる時はこれでもかというほどのアップ。その差が独特で面白いなと。カットが切り替わるとグンッと奥行きが出る。自転車に乗った歌子ちゃんが長回しで流れるように走っていくと更に奥にも横にも広がる。空間の広がりがありつつも、引きが多いから人物が遠く函館の美しい風景に溶け込んでいて、カメラのファインダー越しに見ているよう。それだけで涙腺がゆるんでしまう(恥)。懐かしいポストカードを見てるみたいで。

 

結婚以外の一つ一つのエピソードは少女漫画やTVドラマにありがちなもの。そこにひねりは全くなし。高校生の歌子ちゃんなら、結婚してなかったらそのまま普通の学園ドラマになり、警察官の功太は結婚してなかったらそれらは普通のお仕事ドラマになりそう。恋愛がそこに絡んできたりね。それが、二人が結婚するという設定を入れると、それを取り巻く人達の様々な人間関係が入り組んでくる。立場も変われば見方も変わる。そこが見所なんでしょうかね。

 

土屋太鳳ちゃんの歌子ちゃんは、キラキラして眩しくて懐かしいものの塊でした。とにかく可愛い。声も可愛い。演じてると思えない嫌みにならない純粋さ。純粋と鈍感を勘違いしている演技を見るとイラッとする事もあるんだけど太鳳ちゃんは全くない。そして「鈴木先生」の頃から変わらない透明感。「炎」の後、廣木監督とまたお仕事したいと話してたけど今回それが叶ったね。

 

大神役の高杉真宙君も良かったー。
高杉君は「清盛」や「ゴーストライター」くらいしか見てなかったけど、友達だからと言われた時や功太に頼れよと言われた時とか、いちいち涙ぐんでしまうのが可愛かった。ナイーブで繊細な子というより、案外素直で、ただ家庭環境ゆえにグレちゃった。でもお母さんの事もちゃんと想ってる。というとっても素朴な不良君でした。歌子ちゃん達と友達になるのも躊躇する事なく早かったね。変顔がすごくて笑いました。やりきったねー(笑)。

 

亀梨君は頑固で真面目で融通の利かない警察官という役がすごく合ってたな。真っ直ぐなまなざしも功太という人をよく物語っていました。

 

いいなと思った子でも十七歳と分かるといきなり大人の顔になって、人生なめくさってる子供に言うように「クソガキ」と言って大人の怖さを出してみたり。絶対めんどくさいぞこの人(いきなり結婚しようと言う事からしてもうやばい人っぽいけど)。

 

亀梨君は今回「キメないように」とか「かっこ良くならないように」とか「生っぽさ」という言葉をインタビューでよく話していました。引き算の演技をしたと。

 

ジョーカーゲーム」の時に入江悠監督が、スパイの様式美のようなものを感じたという感想に対して、それは亀梨君が普段アイドルとして身についている立ち振る舞いが大きんじゃないかとおっしゃってました。昔の時代劇で歌舞伎役者が見得を切るのに似ていて、振り向いただけでピッと決まる感じとかなかなか普通の俳優さんでも難しいと。

 

そういうスパイ映画の時には効果的だった動きを今回は一切出さず、普通の男性とも少し違う警察官という職業からにじみ出る日常の立ち振る舞い、のようなものが自然に出ていて良かったです。その職業の人の普段からの動きぽくて。全くのプラベでもどこか気を張ってる部分があるというか。

 

アクションも今回は警察官だから、殴るというより取り押さえるアクションで、派手ではなく少ない動きで確実に取り押さえるアクションが綺麗でした。

 

高校生に見せる大人としての顔と、先輩警察官に見せる年相応の顔と、歌子ちゃんの両親に見せる誠実な若者としての顔と、警察官として市民に見せる公の顔とで全部違って、歌子ちゃんに見せる顔はプラベが入ってきて少しずつ変わってきたりとか、大神君には昔の自分を重ねたのか最後は兄貴っぽかったり、それぞれ良かったです。

 

さて、なぜ功太は出会ってすぐに結婚しようと言ったのか、という謎なんだけども(大げさな)。一応原作は読んだけどよく分からなかった部分。

 

歌子ちゃんの「ありがとう」や「ごめんなさい」をちゃんと言えるところも、クソガキと言われた後に「功太君は警察官だったんだね。かっこよかったなー」と言えちゃう屈託のなさも素直さも、高校生の頃の功太にはきっとなかったもので、そういう純粋なものに触れて、過去と重なるような出来事もあって、離れがたい思いの先に、ふと口から出てきたのが「結婚」という言葉だったのかなー。あの、日常とは違う病室という狭い空間で。 なんて思いました。

 

相手の為に離れる事よりも、能動的に守れる方を選んでしまい、一度口に出したら非常識と分かっていても、ある意味の純粋さもあってそのままつき進んでしまったのかな。若さのせいなのかもしれないし、止まっていた時間が動き出してしまったからなのかもしれないし。

 

そして歌子ちゃんは結婚という言葉の重みも感じないまま、ただ功太と恋愛をしたかったから結婚した。結婚かもう会わないかのニ択で。

 

この映画はそんな未熟な二人の、結婚という名を借りた恋愛の物語なんだなーと思いました。

 

功太の守り方は警察官の守り方のようでも父親の守り方のようでもあるけど(大神君に近づくなと言ったり)、功太の恋愛の仕方は守る事だから、功太の事をもっとを知りたい歌子ちゃんとすれ違う。

 

亀梨君のインタビューで、

ーー覚悟はしたけどそのまま安直には進まないところの面白さ、といいますか。功太は結婚という形でカコとの関係性に「安心」を得ようとしたのかもしれませんが、そのとおりにはいかない。結婚という結びつきが絶対ではないという物語ともいえます。

 

亀梨「功太の中では、警察官としての責任感が先行していたんだと思います。カコちゃんという女子高生に対する恋愛への向かい方にも、警察官としての自分の責任の取り方をまず考えた。それが作品の中で「難しさ」につながっていって、功太も葛藤していく。警察官という立場を背負っていない自分って何なの、とか。カコちゃんのご両親からすれば、どう見えるのか、とか。

-中略-

そういう立場や事情って誰にでもある。その中で、ひとりひとりがどういうバランスで生きていくかっていう事だから。もちろん、僕はまだ結婚もしていませんし、子供もいませんから、そんなに大きな事も言えないところではありますけど、ここに親として、夫としてという立場が出てくると、どうなるのか。家族として、息子として何が出来るのか。兄として、弟として何が出来るのか、とか。先輩として、後輩として・・・。そういうふうに僕にもみなさんにもいろいろな立場があって、その中で生きている。そういうものを全部取っ払い、なくすことで、最後「自分」だけになったときに、何を考えるのか、何を大事にするのか。そういうバランスの難しさが、この作品のテーマのひとつでもあるんじゃないかなって思うわけです」

と話していたのが印象に残っています。

抜粋できずに引用長くなってしまった^^;

 

廣木監督はインタビューで「ストロボ・エッジ」と「オオカミ少女と黒王子」とこの「PとJK」で三部作だとおっしゃっていました。

 

ストロボ・エッジ」と「オオカミ少女と黒王子」では意図的に大人を出さないようにしてきたけど、今回はさすがに出さざるをえないと思って意図的に出している、とも。

 

そう、この映画では、功太と歌子を取り巻く大人達もまたすごくいいんですよね。

 

歌子ちゃんの両親は村上淳さんとともさかりえさん。村淳さんが平凡な父親役って珍しい。功太と二人で話すシーンが良かったな。まだ心の準備が出来ていないけど、娘の幸せをただ願う父親のぽつぽつとした話し方と全然痛くない渾身のパンチが。ともさかさんは「真夜中のパン屋さん」でも太鳳ちゃんの母親役でした。今回は、とまどう父親も夢見る娘もフォローし優しく見守る母親。

 

この夫婦のやりとりも可愛らしくて、歌子ちゃんが愛されて育った事がよく分かる。両親が亡くなり、姉も外国で暮らしていて、生まれ育ったあの広い家に一人で住んでいる功太との違いがここにも。

 

「(姉は)『家族が増えるね』と言ってくれました。」という功太の台詞も事情を知ってから考えるととっても切ない。

 

父親のお葬式の後、謝る功太に姉が言った言葉。「おまえが助かって姉ちゃんは嬉しい。ごめんなさいよりありがとうと言えるように、胸張って生きてけ」この言い方が凛として優しくて厳しくて愛情があふれていて、姉役の河井青葉さんはこのシーンだけの登場だけれどもすごく印象深い、いいシーンでした。

 

大神君の母親の江口のりこさんも、男を見る目はないけど息子には優しくてほっとしました。大神君が根は素直でいい子なのも母親の愛情があるからなのね。

 

あと功太の上司のトモロヲさんとか大政絢ちゃんも良かったな。功太を含めた3人のシーン好きでした。

 

大神君が抱えている問題に対して功太は歌子ちゃんに「君は部外者だ」と言ったけれど、高校の友情部分では功太の方が部外者で、大神君との関わり方が歌子のそれとははっきりと違って。二人の立場の違いを浮き彫りにする為にも大神君の存在てこの映画で大事だったんだなと思いました。

 

その違う巧太と歌子の日常が文化祭で重なる。功太は学ランで大神君は警察官の制服で、ふと錯覚しそうになる。学ランを着て普通に教室にいる功太。随所に出てくる制服が意味するもの。文化祭からその後の事件までの一部始終は、功太が高校の時のあの事件を追体験してるみたい。

 

そうして今度こそ愛する人を守れた功太だったけど、歌子ちゃんに過去の自分のような辛い思いをさせてしまった。歌子ちゃんも覚悟が出来てなかった自分をはっきりと自覚したのかな。

 

「おまえは十年後の自分が想像出来るか?」と功太は大神君に聞く。「俺は十年前、今の自分を想像出来なかった。想像できないという事は可能性があるということだ」と。

 

大神君は十年前の功太という見方もあって、同時に大神君はこれから始まる物語の全ての可能性だ。

 

功太と歌子にももちろん可能性がある。
講堂での功太の演説。真っ直ぐな功太の心からの言葉は真っ直ぐに歌子に届く。そしてあの幸せなEDへ。

 

マリー・ユーが流れる中、手をつないで校内を歩き、生徒達が二人の後ろを祝福するように踊るようにしてついてくる。校門を出るとそこにはパトカーが。ブライダルカーのように空き缶がいっぱいついてる。この幸せすぎる遊び心に泣き笑い。

 

この遊びの部分に、タイトルから想像する、かっこいい警察官と純粋な女子高生の、夢のようなキュンキュン成分をすべて詰め込んだみたい。辛い展開が続いたからことさら嬉しい。

 

ニュースでよく見る警察官の不祥事は、小中高校生などへの猥褻行為が多いけれども、そんな悪い部分の警察官のイメージに反発しているようにも思える。「おまわりさんはかっこいいんだぞ。女子高生が恋をするくらいに」っていう。

 

年齢や職業や立場の違い、そういったものを全て受け入れて一緒に生きていく。これが本当のスタートなんだね。もう制服には縛られないから制服のまま手を繋ぐ。おとぎ話のラストみたい。なんて清々しいんだ。

 

でもおとぎ話じゃないから、その後の二人だけの時間もちゃんとある。今はただ甘いけど、本当に大変なのはこれから。

 

そういえば文化祭のシーンで大段幕に書かれた文化祭のテーマが「大地と未来」でした。この映画みたいだ。果てしなく広がる北海道の大地の向こうには二人のキラキラした未来が続いている。

 

その文化祭でブラスバンドが奏でる「シュガーソングとビターステップ」が素敵でした。演奏してたのはこの映画の撮影に使われていた高校の生徒さんだそうで。現役の説得力やばい。ふいに青春にふれると懐かしさにうるってきてしまう年頃です。甘酸っぱい。

 

キラキラした若い高校生でも将来への不安があり、社会に出た若者でも生きづらさを感じたり、親となった世代でも葛藤が続く。

 

それぞれの年代なりの悩みがあって、でもそれぞれの年代なりの解決の方法があって、周りの人達に助けられて。いくつになってもそんな事を繰り返す、懲りない優しい愛すべき人達。

 

そんな繰り返される大切な日々の一部分を切り取ったような映画でした。