午前三時の月あかり

亀梨和也君と日常ごと。木皿泉さんの事なども。

映画「バンクーバーの朝日」

2014年12月20日公開「バンクーバーの朝日


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監督 : 石井裕也
脚本 : 奥寺佐渡
出演 : 妻夫木聡亀梨和也勝地涼上地雄輔池松壮亮
     佐藤浩市高畑充希 他



公開初日と1月2日の2回観てきました。「感動実話」という宣伝文句に期待して観た人は物足りない思いをするかもしれません。逆にそういう宣伝で苦手だと思った人が観て「うっかり感動しちゃったよ」と笑いながら泣いてしまう。そんな映画じゃないかなと。私がそうでした。


感動を誘うような大げさな演出もなく、暗いばかりの話でもなく笑いもあり。観た人の感想で「ああ、野球がやりたいなあ」というのを見かけましたが、そういう素直な感想がするりと出て来るような真っ直ぐな映画でした。


映画館では年配の方も多く、男性1人で観に来ている方もぽつぽつと見かけて、くすっと笑える場面で声をあげて笑っていたのもそんな方達でした。


以下出演者のインタビューの内容を挟みながら感想などを。ツイッターでつぶやいた事もありますが。すんごい長いです。


パンフレットより。監督が焦点を当てようとしたところは?


石井「すさまじい閉塞感であったであろう、当時の世界の中でバンクーバー朝日のメンバー、特に主人公のレジーが、いかにして立ち上がったのかを描くことだと僕は思いました。明らかな劣勢の中で、己の弱点をしっかりと受け止め、じっくり考え、身の丈に合ったやり方で全力を尽くす、というレジーのキャラクター作りはとても重要でした。


レジーはすべての真ん中に位置しています。彼は日本人万歳という人と白人万歳という人の真ん中にいて、野球でも同じスタンスをとっている。広い視野を持っていたからこそバント作戦を編み出せたわけだし、何よりすべての真ん中に主人公を置くことで、レジーという人間をファクターにして、当時の複雑な世界観や歴史、野球を見せていけるのではないかと考えたんです。


妻夫木「僕は、レジーはいろんな想いを全部持っていた人だと思ったんです。-(中略)- 彼はカナダを愛しているけれども、カナダ人から差別や迫害を受ける。でも、かつて移民一世が大勢日本からやって来て、現地の人の仕事をどんどん奪って、カナダ人からしたら日本人がエイリアンのように見えた気持ちも分かるわけです。だからと言ってレジーにはどうすればいいのかという答えはなくて、その想いを溜めこんで上手く発散できない、不器用な男なんだろうなって」


レジーが気だるげに起きるところから始まるカナダの寒い冬の朝。辛い労働の昼を経て夜酒場に集まる労働者たち。その1日の時間の流れ、そして季節の移り変わりの映像が丁寧で、そこに挟み込まれる野球のシーン特に夏の野球シーズンへとがらっと変わるその明るい風景は、一斉に息吹く街の様子がそのワクワク感がよく出ていました。


亀梨 「僕は勝手に頭の中でモノクロでその時代を感じていたんですけど、実際ってやっぱり現代と同様カラーなわけじゃないですか。目から入ってくる景色って時代を超えてもある程度変わらないものというか。時代って関係ないのかな、“生きる”ということに対してシンプルに捉えた時に」

と亀梨君がインタビューで話してた通りに鮮やかに。


レジーが夜静かに朝日軍のユニフォームを出し嬉しそうに羽織る、それを寝ていたエミーが薄目を開けくすくすと笑いながら見ているシーンがいいんですよー。照明のあたり具合もとても暖かで静かで心に残るシーンです。


普通なら感動させるシーンになるであろうシーンがわりとあっさりめでカットも少なくて、日常生活の先のある1つの出来事として淡々と撮られていて、その積み重ねのリアル。


無音で映し出される人々のちょっとした間とか。何かを考えているのか疲れ切って考える余裕もなくぼうっとしているのか、ふとした瞬間ににじみ出て来る現実の重さ。でも辛いだけじゃなく楽しい事もある。どちらもあるのが彼らの現実。


移民一世の人達はあのまま日本にいたらという後悔はあるでしょうけど、二世は生まれた時からカナダにいるわけで、可哀想な境遇の俺達というより、運がないみたいなやさぐれもあって、日本人の誇りも後悔も家族に対する後ろめたさもある一世の方がずっと重い。佐藤浩市さんがまた上手すぎて「わしらは家に帰らんといけんのじゃ」(台詞うろ覚え)が一番泣けました。


そういえば、石田えりさん演じるレジーの母親が佐藤浩市さん演じるレジーの父親に米を投げつけ、その後床に散らばった米粒をひとつひとつ拾うシーンは「七人の侍」を思い出しました。黒澤監督はその床に相当こだわって焼いたりたわしでこすったりを繰り返したそうですが、この映画でも同じように、生活の汗も泥もすべて吸い込んだような黒光りした床と命をつなぐ大切な大切な白い米とのコントラストがはっきりと印象に残っています。バンクーバーの日本人街を含む美術も素晴らしかったです。オープンセットとはとても思えない。


主役の妻夫木君はとにかく良かったです。最近は「悪人」とか「黄金を抱いて翔べ」の印象が強かったんですが、妻夫木君ってこういう役が抜群に上手かったんだなと思い出しました。そうでした忘れてました。


あの一見どういう人か分かりにくく出すぎても引っ込みすぎても台無しであろうレジーという役を実に自然に演じていて、レジーがしっかり存在しているから亀梨君のロイも更にくっきりと浮かび上がって相乗効果なレジーとロイの対比が素敵でした.:*・゜。


初めてバントを成功させるシーンでも、バッターボックスに入る前から入ってバントを成功させて塁に出て盗塁してついにホームベースを踏むところ。そしてその後の表情まで、一連の表情の変化と動きが素晴らしく臨場感あふれていて息を飲んで見てました。こういう細かい嘘(演技)から生まれるリアリティは野球経験があるより先に本当の演技からじゃないと出せないものだなあと。


亀梨君のロイは石井監督がおっしゃっていたように背中の演技が凄くて、出場停止になって「馬鹿な事をしたもんだな」と言われた時の、やるせない思いと怒りの渦巻いている背中がヒリヒリと痛いくらいで凄みがありました。


亀梨「ロイの場合、強く生きようとする表れが、周りに対する反発や孤独につながっていたと思います。別に“この人嫌いだから”というのではなく、必死に生きなくてはいけないから誰にも頼らない。一所懸命にやればやるほど孤独になるという、彼の立場は凄くよく分かります」

私は亀梨君のファンなのでついつい亀梨君本人と重ね合わせて勝手に切なくなってしまいます。妻夫木君も「亀の孤独感には嘘がない」と話してたな...


レジーとロイが白人チームの選手に会いに行った帰り道。ロイの泣き顔は絶対撮らないと全て横から(顔は影になってて見えない)撮った石井監督。レジーの言葉に頷いて静かにしゃくりあげるロイの背中が儚くて、いつも張り詰めてたロイの脆さが見えてじんわり涙が。「やっぱり野球は楽しいよ」と言うレジーの飾らない言葉もレジーらしくて優しくて。


エミーが歌うシーンでもロイは後ろ向きで座っていて表情は見えないんですが、そこでも背中の集中力というか存在感が凄くて、立ち上がった時は緊張MAXで(観ているこっちの)、今にも何かがパリンと割れそうなくらい。あそこでレジー以外の選手との間にあった壁もなくなったんでしょうね。


レジーとロイの汽車での別れのシーン。以前レジーが冗談でロイに行った言葉を言うロイ。その穏やかだけど強い表情。それまでの背中の演技が続いたからこそこの表情が活きてくるというか。


「また野球しような」とぼそっと言うレジー(の表情がまたいいんですよ!)と、その後の花が綻んだようなロイの笑顔が綺麗でした。


このシーンは4〜5回撮ったそうで、最初の2〜3回では涙が出てしまったという亀梨君。そこで石井監督は「涙はいらない。ここのロイは強く」とおっしゃったそうです。「とにかくロイはレジーを見続けて下さい」と。


亀梨 「まだ二人はどこか希望を持っているんです。もう会えないと何となく分かっているけど、でも何とかなるんじゃないか。また一緒に野球が出来るんじゃないかって。“たぶんやるよ”みたいな。どこか達観する感じもあったのかな。だからこそ、そんな希望さえ打ち砕くのが戦争という答えにもなっている」


レジーを筆頭とする朝日軍のメンバーは皆役にぴったりで、脚本はアテ書きだったと聞いて納得しました。石井監督はキャストはまず第一に「心の綺麗な人を選んだ」とも話していました。


池松君演じるフランクはレジーとの2人のシーンが良くてこの人すげえなと改めて。あの話し方のトーンとか間とか仕草とか意識せず出来る才能のまぶしさよ。


ネタバレですが、途中職を失ったフランクは、日本へ行く事になるんですよね。それをレジーに伝えるのがそのシーンなんですが。見たこともないもう1つの祖国へ旅立ったフランク。船で日本へ向かったその次のシーンが戦争の様子を伝えるスクリーンに映った日本軍の様子。それを見ていたレジー達がその中の1人を見て「あれ?フランク?」「まさかな」と言う。それだけのシーンなんですが、ここがこの映画で一番残酷なシーンなのかも。映画ではぼかしてありますがきっとフランクなんだろうなと思わせる暗い影が潜んでいるシーン。池松君もインタビューではっきりと「フランクだけ戦争に行った」と話していましたし。


上地君演じるトムは「野球やめちまえよ」と言われた時の「やめないよ」の言い方が良かったなあ。5人の中で唯一妻も子もいる選手で、「ごめん」と言いながら練習にいく姿や、朝日軍が出場停止になった時に妻から「これで良かったのよ」と言われた時の「うん」という言い方も。台詞は短くても色々な思いが伝わる演技が良かったです。


勝地君演じるケイは明るいムードメーカーで、「かっこいいと思ってやってねぇよ」とボソッと言ったり、こんなの野球じゃねえよと言ってもその後褒められると「そうすか」とその気になったり、勝地君そのままのような愛すべきキャラが可愛かったです。


他にも現代っぽい言葉がいくつか出てきましたが、それも石井監督はあえてそのまま入れたんじゃないかなと。違和感を覚える人もいるでしょうが、その人にとって生きてる言葉をそのまま使う事が大切だと思ったのかも。


そして何といっても高畑充希さん。主要メンバーでただ1人オーディションだったそうで、歌が上手くて素直な可愛い女優さんはたくさんいたけど、エミーという役はそれだけではダメで、その中にやっぱり黒いもの、鬱屈したものがなければと思い、ただ1人それがあった彼女を選んだ(ニュアンス)、と石井監督はラジオで話していました。


エミーが朝日軍のメンバーの前でとつとつと話すシーンは、本当にその黒いもの白いものが心に渦巻く中で絞り出した希望の言葉のようでした。瞳の奥から訴えてくるものが怖いくらい。その後の歌はこの映画の見所の一つでした。


監督のインタビュー(だったかな?)にもありましたけど、ちょくちょく映し出される「手」が印象的でした。肉体労働の後のこわばった汚れた手。酔いつぶれた親父の手。優勝した後、レジーが球場の壁にもたれてなんとはなしに見る自分の手。そしてエンドロール後の年老いたレジーの手。


あの年老いたレジーとして出演しているのは実際に朝日軍のメンバーだったケイ上西さん。エンドロールの流れる前のありし日の朝日軍の映像は、年老いたレジーが海の向こうに見ているものなのかもしれません。そこで思わず動いてしまったかのような「手」。あの微笑をたたえた深い表情は、懐かしい思いの先にあるただ「野球がしたいな」という思いを一番に含んでいるのかもしれません。


映画公開前に放送していた朝日軍のドキュメンタリーで、収容所でもカナダ人と野球をしていた日本人がたくさんいたと伝えていました。バンクーバー朝日軍という「青春」の続きが収容所にもあった事を信じたいです。そこにもバンクーバーの日本人街と同様に希望があった事を。



1月12日追記 :


本日3回目行って来ました。そして今日は上映後石井監督と妻夫木君のティーチインもありました。会場からの質問に答える形だったので深い話は聞けませんでしたが、サプライズゲストでレッドソックスで活躍中の上原浩治選手もいらして、始終和やかな雰囲気でした。


映画は観るたびに突き刺さるものがあり、複数回観る事をお勧めしたいです。本当にいい映画です。