午前三時の月あかり

亀梨和也君と日常ごと。木皿泉さんの事なども。

「冬眠する熊に添い寝してごらん」2014.1.30 シアターコクーン

Bunkamura シアターコクーン 「冬眠する熊に添い寝してごらん」


作:古川日出男 演出:蜷川幸雄
出演:上田竜也 井上芳雄 鈴木杏 勝村政信 他


添い寝熊2


行ってきました添い寝熊(あるいは冬眠熊?)。
蜷川さんが「波」に掲載された舞台初日三週間前のインタビューで、


俳優は、情熱のレベルが高いから僕はすごく楽です。-(中略)- 戯曲の中に心揺さぶられる「情念の地震」のようなものがあって、みんなそれに乗せられて走るんでしょう。

とおっしゃっていましたが、まさに観客であるこちらも「情念の地震」にゆさぶられた3時間45分でした。


難解と聞いていたので、その場で全部理解しようとはせず(しようと思っても無理でしたが^^;)ある程度手放して登場人物の行動や心の動きなどを注意して観るようにしたのですがそれがかえって良かったです。


新潮に台本版が掲載されていたので、帰ってきてからゆっくり読みました。

いや、理解出来ていないと思うんですがなんとなく腑に落ちたというか...。これ読んだ方がいいですね絶対。観た後に。


ツイッターではネタバレになるためほとんどつぶやけなかったんですがここでは思いっきりネタバレ有の感想を。考察はとうてい無理なのでいつも通り思いついた事をだらだらと。


熊猟師の子孫である川下一と多根彦の兄弟。多根彦の婚約者で犬の血を引く詩人のひばり。時代は、明治時代の日本の石油村と大正時代のシベリア、そして現代を行ったり来たり。


川下兄弟は熊の血を引いていて(熊と契約を交わした=契ったってそういう事ですよね?)、その熊の血を引く一と犬の血を引くひばりが契り、血が混ざり、兄弟の愛憎も混ざり、回転寿司は回り時代は重なり、混沌の中で響き渡る二つの銃声。悲劇。それを導いているような操っているような、時代を行き来する半透明の熊人間と二頭の犬。と傍観者的な富山の薬売り。


悲劇の後、蜂蜜を舐めた一は熊の時間に行ったんでしょうか。熊猟師も。うーん、そう解釈したけどどうなんだろ。


多根彦とひばりが予定通り結婚していたらまた違っていたんでしょうね。あの悲劇には愛憎というとてつもなく大きな燃料が必要で。燃料それ自体が欲望する。燃える水、原子の火、セックス。「エネルギーは欲望する」


エネルギーの使い方を間違えると小さなきっかけで国の歴史さえ変わってしまう。国も人も滅びに向かうしかない。「百年の想像力を持たない人間は、二十年と生きられない」という言葉は普通に考えるとそう思えるんですがもっと深い意味もありそうだし...


川下家の家訓「汝、齢二十五にて一子を儲けよ」の二十五歳のタイムリミットというのは熊の寿命とも関係があるのかな。なんとなく。祖父もまだ生きているので短命というわけではなさそうですが。


舞台美術が素晴らしく巨大な大仏に圧倒されました。ト書きをそのまま映した事は賛否両論なのかな?私はそれすら美術の一部のようで言葉やお経でがんじがらめになったような圧迫感があり、それが運命そのもののようで効果的だったように思えました。


どなたかの感想で大仏に映し出される般若心経は耳なし芳一のようと。そう、そんな感じ。熊や犬の血の呪いが平家の怨霊とも重なったり。


大仏が犬仏に変わり般若心経が「犬即是人 人即是犬(イヌソクゼヒト ヒトソクゼイヌ)」と異形の聖句に変わるところ、最後の犬と回転するベルトコンベアで重なる二つの時代のシーンが圧巻でした。前半の回転寿司のシーンはただ楽しい。あんな空間の使い方が出来るのが舞台なんですね。


恋人を取られても、兄を悲劇のヒーローにする復讐しか出来ない多根彦が憐れで、憎んでもぬぐいきれない兄への愛情が拙い子供のそれのようで。なのにエリートサラリーマン。七回自殺しようとしても未遂に終わり入院しても有給休暇に充てて何事もなかったかのように会社に行き、よく働く。「川下君が死のうとしつづけていることに誰も気づかない」というひばりの祖母の言葉が痛かったなあ。


この狂いかけてる多根彦が良かったので、一に電話するシーンではもう一歩先の狂気が見たかったなというのが正直な感想です。ひたひたと迫りくるようなぞっとするような狂気を。でも、多根彦のキャラからするとああいった分かりやすい痛々しい狂気が正解なのでしょうね。冒頭からして空のベビーカーですし。


一は蜷川さんのイメージでは松岡修造さんだそうですが、井上芳雄さんが演じると暑っ苦しくない情熱に色気と品を加えたような(修造さんが下品と言ってるわけではありません笑)。ただ立っているだけだと清潔感のある品の良さが際立っているのに話し出すとぱあっと華やぐようで舞台に立つ人なんだなと。情熱過剰でも飄々としていてとても魅力的な一でした。そりゃひばりも惚れるなって笑。


鈴木杏ちゃんのひばりはファムファタールというよりエキセントリックな女の子のようでした。客席登場の時に席が近かったんですが、気が付いたら浮かび上がるように立っていてゾッとしました。2度目に登場した時もゾッとしました。立ち姿が既に詩をまとっている詩人そのもので。祖母や多根彦や一の前では可愛らしい女性らしい女性なんですけどね。女優さんだなあ。


エネルギーは欲望するとか刺激されるとか同じ台詞を違う人が言ったり、マジナイとか密会とかベルトコンベアーとか無数の母親達とか気になる言葉が何度か出てきたり、堂々巡りのような台詞まわしや言葉の遊びや文節の区切りや、古川さんの独特の世界なんでしょうか。台本版だけ読んでもとても面白いんですが、舞台は視覚からの情報に聴覚からの情報も加わりなんとも壮大な世界でした。面白かったです。もう一回観たかったな。