午前三時の月あかり

亀梨和也君と日常ごと。木皿泉さんの事なども。

Myojo亀梨和也10000字インタビュー

亀梨君の10000字インタビュー読みました。


相変わらず一番苦しい時には何も語らず、それを乗り越えた後にまるで他人事のように淡々と話す人だなあと。普段冗談まじりに昔の事を持ち出したりして案外根に持つタイプ?と思う事もあるのに、こうして真面目に昔を振り返って話す時はいつもそんな印象を受けます。


アイドルである限り苦しい時に苦しいとは言える訳もありませんが、それでも周りの人にも一切何も言わずにいたのは、意地やプライドや言ってもしょうがないという諦めがあったんだなと。そして結果を出しさえすれば全て報われると無理やり自分を納得させてたのかなとも。


びっくりしたのがデビューについて

「俺は結成されたときから、できる、できないじゃない。デビューは東京ドームでって思ってたよ。絶対、このメンバーでデビューする、東京ドームでって」

デビューしたいという思いは誰でもあるでしょうが、このメンバーで東京ドームでとまで思い描いていたのなら、他の子と先に見えているものが違えばそりゃ意識の違いは出てくるし、衝突もあっただろうなと想像がつきます。


このインタビューでも、以前のインタビューでも度々出てきた「ユーは背負って生きてくんだよ」というジャニーさんの言葉は、2004年のタッキーの代役として主演をした舞台「DREAM BOY」の頃に言われたんですね。


その後のごくせんや金田一少年野ブタの頃のメンバーとの格差も、本人はどうしようもなかったでしょうし、メンバーの複雑な思いも当然ですし、ひどいなと思いつつそういった売り方が一番効果的だったんでしょうし。それでも叶うなら対等で出たかったという亀梨君の言葉はやっぱり聞いていて辛いです。


修二と彰で先にCDデビューをすると聞いた時に納得いかずジャニーさんに直談判した話は聞いた事ありましたが、

ジャニーさんが言ってた“背負う”って、こういうことかなって。「青春アミーゴ」の収録前、散々ごねて、最終的に説得されたのは、ジャニーさんに“KAT-TUNのためだから”って言われたから。“ユーが山下とCD出して、いい結果を残せるかどうか。ユーの失敗はKAT-TUNの失敗だよ”って。だったら、やるしかないだろうって」


この話は初耳でした。ジャニーさんは亀梨君の性格を良く分かってるなあと。KAT-TUNのためと言われたらやるしかないですよね。


私が亀梨君を知ったのはちょうどこの頃ですが、修二と彰を歌番組などで見て「人懐こい子だな。本当に楽しくてしょうがないんだろうな」と思ってました。亀梨君はやると決めたらとことんやるので何をやってもいつも「KAT-TUNの時よりイキイキしてるんじゃないの?」と言われますよね。


でもその時、所属グループの紹介はあって当たり前ですが、それにしても「なんでこの子はKAT-TUNの話ばかりするんだろう」とも思ってました。亀梨君には修二と彰の成功よりその先にあったKAT-TUNのデビューしか見えていなかったのかもしれませんね。


でもね、みんな何かを背負ってると思う。それは、メンバーはもちろんだし、どんな職業でも同じ。だから、特別なことだなんて思わない。

そしてようやくデビュー。その後の赤西君の事についてはいつか話せる時が来るんでしょうか。赤西仁という人は亀梨和也を語る上では欠かせない人だと思うので、こうした過去話に彼の名前が出てこないのはやはり寂しいし辛いです。(勿論、確執があって脱退したわけではないので、大人の事情のゴタゴタ部分をファンには話せないんだと思いますが)


道が分かれた経緯は話せなくても、同じ道を歩いてきた仲間として自然に過去話に名前が出てくるような、そんな未来を願わずにはいられません。