午前三時の月あかり

亀梨和也君と日常ごと。木皿泉さんの事なども。

映画「PとJK」

PとJK観ました。泣きました。まさかの。

 

正直、映画が発表になった時は「なんで今更キュンキュン映画?」と思いました。そこを通らずにこれまでこれたのに、それがラッキーだとも思ってたのになんで今更と。亀梨君のファンとしてね。

 

でも廣木監督と聞いて、去年のSPドラマ「美しき三つの嘘」の「炎」が好きだったので、そこでちょっと期待が持てました。このドラマの土屋太鳳ちゃんもすごく良かったしね。監督の映画はちゃんと観た事がなかったので発表の後いくつか観ました。今放送中の廣木監督が総監督のドラマ「火花」もすごく良いです。

 

それでも根強いキュンキュンアレルギーのせいでまだ半信半疑だったけど、実際観たらキュンキュンはあえて抑えてある印象で、どちらかと言えば重い内容でした。あの予告に期待して行った人は楽しめたんだろうかと心配になるほど。脚本にあったキュンキュン部分も監督が結構削っていったと亀梨君も話してたっけ。

 

監督はインタビューで、

廣木「少女漫画が原作なんだけど“結婚で縛られた”っていうのかな、そういう男と女を描けるんじゃないかなと思って受けたんです。僕、相米(慎二)さんの『翔んだカップル』も割合に好きなんでね。結婚が男と女の中でどういう在り方をするのかっていうのをやってみたかったというのが一番大きかった」

とおっしゃってました。

 

なるほどなーと思ったので感想を残す事にしました。解釈が人と違うかもしれないけど、思った事をそのまま書きます。思いっきりネタバレしてます。

 

映画を観てまず思ったのが、よく言われているように引きの画と長回しが多い事。大事な台詞を話している時も引きが多くて、でもアップになる時はこれでもかというほどのアップ。その差が独特で面白いなと。カットが切り替わるとグンッと奥行きが出る。自転車に乗った歌子ちゃんが長回しで流れるように走っていくと更に奥にも横にも広がる。空間の広がりがありつつも、引きが多いから人物が遠く函館の美しい風景に溶け込んでいて、カメラのファインダー越しに見ているよう。それだけで涙腺がゆるんでしまう(恥)。懐かしいポストカードを見てるみたいで。

 

結婚以外の一つ一つのエピソードは少女漫画やTVドラマにありがちなもの。そこにひねりは全くなし。高校生の歌子ちゃんなら、結婚してなかったらそのまま普通の学園ドラマになり、警察官の功太は結婚してなかったらそれらは普通のお仕事ドラマになりそう。恋愛がそこに絡んできたりね。それが、二人が結婚するという設定を入れると、それを取り巻く人達の様々な人間関係が入り組んでくる。立場も変われば見方も変わる。そこが見所なんでしょうかね。

 

土屋太鳳ちゃんの歌子ちゃんは、キラキラして眩しくて懐かしいものの塊でした。とにかく可愛い。声も可愛い。演じてると思えない嫌みにならない純粋さ。純粋と鈍感を勘違いしている演技を見るとイラッとする事もあるんだけど太鳳ちゃんは全くない。そして「鈴木先生」の頃から変わらない透明感。「炎」の後、廣木監督とまたお仕事したいと話してたけど今回それが叶ったね。

 

大神役の高杉真宙君も良かったー。
高杉君は「清盛」や「ゴーストライター」くらいしか見てなかったけど、友達だからと言われた時や功太に頼れよと言われた時とか、いちいち涙ぐんでしまうのが可愛かった。ナイーブで繊細な子というより、案外素直で、ただ家庭環境ゆえにグレちゃった。でもお母さんの事もちゃんと想ってる。というとっても素朴な不良君でした。歌子ちゃん達と友達になるのも躊躇する事なく早かったね。変顔がすごくて笑いました。やりきったねー(笑)。

 

亀梨君は頑固で真面目で融通の利かない警察官という役がすごく合ってたな。真っ直ぐなまなざしも功太という人をよく物語っていました。

 

いいなと思った子でも十七歳と分かるといきなり大人の顔になって、人生なめくさってる子供に言うように「クソガキ」と言って大人の怖さを出してみたり。絶対めんどくさいぞこの人(いきなり結婚しようと言う事からしてもうやばい人っぽいけど)。

 

亀梨君は今回「キメないように」とか「かっこ良くならないように」とか「生っぽさ」という言葉をインタビューでよく話していました。引き算の演技をしたと。

 

ジョーカーゲーム」の時に入江悠監督が、スパイの様式美のようなものを感じたという感想に対して、それは亀梨君が普段アイドルとして身についている立ち振る舞いが大きんじゃないかとおっしゃってました。昔の時代劇で歌舞伎役者が見得を切るのに似ていて、振り向いただけでピッと決まる感じとかなかなか普通の俳優さんでも難しいと。

 

そういうスパイ映画の時には効果的だった動きを今回は一切出さず、普通の男性とも少し違う警察官という職業からにじみ出る日常の立ち振る舞い、のようなものが自然に出ていて良かったです。その職業の人の普段からの動きぽくて。全くのプラベでもどこか気を張ってる部分があるというか。

 

アクションも今回は警察官だから、殴るというより取り押さえるアクションで、派手ではなく少ない動きで確実に取り押さえるアクションが綺麗でした。

 

高校生に見せる大人としての顔と、先輩警察官に見せる年相応の顔と、歌子ちゃんの両親に見せる誠実な若者としての顔と、警察官として市民に見せる公の顔とで全部違って、歌子ちゃんに見せる顔はプラベが入ってきて少しずつ変わってきたりとか、大神君には昔の自分を重ねたのか最後は兄貴っぽかったり、それぞれ良かったです。

 

さて、なぜ功太は出会ってすぐに結婚しようと言ったのか、という謎なんだけども(大げさな)。一応原作は読んだけどよく分からなかった部分。

 

歌子ちゃんの「ありがとう」や「ごめんなさい」をちゃんと言えるところも、クソガキと言われた後に「功太君は警察官だったんだね。かっこよかったなー」と言えちゃう屈託のなさも素直さも、高校生の頃の功太にはきっとなかったもので、そういう純粋なものに触れて、過去と重なるような出来事もあって、離れがたい思いの先に、ふと口から出てきたのが「結婚」という言葉だったのかなー。あの、日常とは違う病室という狭い空間で。 なんて思いました。

 

相手の為に離れる事よりも、能動的に守れる方を選んでしまい、一度口に出したら非常識と分かっていても、ある意味の純粋さもあってそのままつき進んでしまったのかな。若さのせいなのかもしれないし、止まっていた時間が動き出してしまったからなのかもしれないし。

 

そして歌子ちゃんは結婚という言葉の重みも感じないまま、ただ功太と恋愛をしたかったから結婚した。結婚かもう会わないかのニ択で。

 

この映画はそんな未熟な二人の、結婚という名を借りた恋愛の物語なんだなーと思いました。

 

功太の守り方は警察官の守り方のようでも父親の守り方のようでもあるけど(大神君に近づくなと言ったり)、功太の恋愛の仕方は守る事だから、功太の事をもっとを知りたい歌子ちゃんとすれ違う。

 

亀梨君のインタビューで、

ーー覚悟はしたけどそのまま安直には進まないところの面白さ、といいますか。功太は結婚という形でカコとの関係性に「安心」を得ようとしたのかもしれませんが、そのとおりにはいかない。結婚という結びつきが絶対ではないという物語ともいえます。

 

亀梨「功太の中では、警察官としての責任感が先行していたんだと思います。カコちゃんという女子高生に対する恋愛への向かい方にも、警察官としての自分の責任の取り方をまず考えた。それが作品の中で「難しさ」につながっていって、功太も葛藤していく。警察官という立場を背負っていない自分って何なの、とか。カコちゃんのご両親からすれば、どう見えるのか、とか。

-中略-

そういう立場や事情って誰にでもある。その中で、ひとりひとりがどういうバランスで生きていくかっていう事だから。もちろん、僕はまだ結婚もしていませんし、子供もいませんから、そんなに大きな事も言えないところではありますけど、ここに親として、夫としてという立場が出てくると、どうなるのか。家族として、息子として何が出来るのか。兄として、弟として何が出来るのか、とか。先輩として、後輩として・・・。そういうふうに僕にもみなさんにもいろいろな立場があって、その中で生きている。そういうものを全部取っ払い、なくすことで、最後「自分」だけになったときに、何を考えるのか、何を大事にするのか。そういうバランスの難しさが、この作品のテーマのひとつでもあるんじゃないかなって思うわけです」

と話していたのが印象に残っています。

抜粋できずに引用長くなってしまった^^;

 

廣木監督はインタビューで「ストロボ・エッジ」と「オオカミ少女と黒王子」とこの「PとJK」で三部作だとおっしゃっていました。

 

ストロボ・エッジ」と「オオカミ少女と黒王子」では意図的に大人を出さないようにしてきたけど、今回はさすがに出さざるをえないと思って意図的に出している、とも。

 

そう、この映画では、功太と歌子を取り巻く大人達もまたすごくいいんですよね。

 

歌子ちゃんの両親は村上淳さんとともさかりえさん。村淳さんが平凡な父親役って珍しい。功太と二人で話すシーンが良かったな。まだ心の準備が出来ていないけど、娘の幸せをただ願う父親のぽつぽつとした話し方と全然痛くない渾身のパンチが。ともさかさんは「真夜中のパン屋さん」でも太鳳ちゃんの母親役でした。今回は、とまどう父親も夢見る娘もフォローし優しく見守る母親。

 

この夫婦のやりとりも可愛らしくて、歌子ちゃんが愛されて育った事がよく分かる。両親が亡くなり、姉も外国で暮らしていて、生まれ育ったあの広い家に一人で住んでいる功太との違いがここにも。

 

「(姉は)『家族が増えるね』と言ってくれました。」という功太の台詞も事情を知ってから考えるととっても切ない。

 

父親のお葬式の後、謝る功太に姉が言った言葉。「おまえが助かって姉ちゃんは嬉しい。ごめんなさいよりありがとうと言えるように、胸張って生きてけ」この言い方が凛として優しくて厳しくて愛情があふれていて、姉役の河井青葉さんはこのシーンだけの登場だけれどもすごく印象深い、いいシーンでした。

 

大神君の母親の江口のりこさんも、男を見る目はないけど息子には優しくてほっとしました。大神君が根は素直でいい子なのも母親の愛情があるからなのね。

 

あと功太の上司のトモロヲさんとか大政絢ちゃんも良かったな。功太を含めた3人のシーン好きでした。

 

大神君が抱えている問題に対して功太は歌子ちゃんに「君は部外者だ」と言ったけれど、高校の友情部分では功太の方が部外者で、大神君との関わり方が歌子のそれとははっきりと違って。二人の立場の違いを浮き彫りにする為にも大神君の存在てこの映画で大事だったんだなと思いました。

 

その違う巧太と歌子の日常が文化祭で重なる。功太は学ランで大神君は警察官の制服で、ふと錯覚しそうになる。学ランを着て普通に教室にいる功太。随所に出てくる制服が意味するもの。文化祭からその後の事件までの一部始終は、功太が高校の時のあの事件を追体験してるみたい。

 

そうして今度こそ愛する人を守れた功太だったけど、歌子ちゃんに過去の自分のような辛い思いをさせてしまった。歌子ちゃんも覚悟が出来てなかった自分をはっきりと自覚したのかな。

 

「おまえは十年後の自分が想像出来るか?」と功太は大神君に聞く。「俺は十年前、今の自分を想像出来なかった。想像できないという事は可能性があるということだ」と。

 

大神君は十年前の功太という見方もあって、同時に大神君はこれから始まる物語の全ての可能性だ。

 

功太と歌子にももちろん可能性がある。
講堂での功太の演説。真っ直ぐな功太の心からの言葉は真っ直ぐに歌子に届く。そしてあの幸せなEDへ。

 

マリー・ユーが流れる中、手をつないで校内を歩き、生徒達が二人の後ろを祝福するように踊るようにしてついてくる。校門を出るとそこにはパトカーが。ブライダルカーのように空き缶がいっぱいついてる。この幸せすぎる遊び心に泣き笑い。

 

この遊びの部分に、タイトルから想像する、かっこいい警察官と純粋な女子高生の、夢のようなキュンキュン成分をすべて詰め込んだみたい。辛い展開が続いたからことさら嬉しい。

 

ニュースでよく見る警察官の不祥事は、小中高校生などへの猥褻行為が多いけれども、そんな悪い部分の警察官のイメージに反発しているようにも思える。「おまわりさんはかっこいいんだぞ。女子高生が恋をするくらいに」っていう。

 

年齢や職業や立場の違い、そういったものを全て受け入れて一緒に生きていく。これが本当のスタートなんだね。もう制服には縛られないから制服のまま手を繋ぐ。おとぎ話のラストみたい。なんて清々しいんだ。

 

でもおとぎ話じゃないから、その後の二人だけの時間もちゃんとある。今はただ甘いけど、本当に大変なのはこれから。

 

そういえば文化祭のシーンで大段幕に書かれた文化祭のテーマが「大地と未来」でした。この映画みたいだ。果てしなく広がる北海道の大地の向こうには二人のキラキラした未来が続いている。

 

その文化祭でブラスバンドが奏でる「シュガーソングとビターステップ」が素敵でした。演奏してたのはこの映画の撮影に使われていた高校の生徒さんだそうで。現役の説得力やばい。ふいに青春にふれると懐かしさにうるってきてしまう年頃です。甘酸っぱい。

 

キラキラした若い高校生でも将来への不安があり、社会に出た若者でも生きづらさを感じたり、親となった世代でも葛藤が続く。

 

それぞれの年代なりの悩みがあって、でもそれぞれの年代なりの解決の方法があって、周りの人達に助けられて。いくつになってもそんな事を繰り返す、懲りない優しい愛すべき人達。

 

そんな繰り返される大切な日々の一部分を切り取ったような映画でした。

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KAT-TUNという夢を見ている

 

 

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ライブのパンフレット(左)と、KAT-TUNのオフィシャル・ピアノ・スコア(右)と銃型ペンライト。

 

KAT-TUNの充電前のライブに行ってきました。東京ドーム、4月29日と最終日の5月1日。ブログを書くのが久しぶりなので文体が統一されてないけど自由に書きます。ライブの雑感と充電について。どうしても亀梨君中心になってしまうけど。ライブDVDが発売されたら曲ごとの感想をもうちょっと書くかも。

 

最終日に上田君が「最後の出航だー!」と叫んだ時「そうか、これでしばらくライブはないんだ」と実感(それまでは「出航だー!」だった)。

 

GOLDのイントロが流れる。メインモニターには海賊旗と荒れ狂う海と稲光り。噴き出す水。客席はペンライトの紅い海。嵐の中の出航なんてKAT-TUNらしいな。

 

レポで読んでいたけど本当にステージには3人だけ。バックのJr.もダンサーも生バンドもなし。巨大な船のセット。特効はいつもと比べるとやっぱり控えめかも。でもUNLOCKなど使う所では惜しみなく使う。色とりどりの照明、蜘蛛の巣のように張り巡らされたレーザー、炎、花火、水。

 

3人だけでライブをする事については、亀梨君がラジオで、

とにかく今回この10Ksというのは、自分は絶対3人でやるんだという所からスタートして始まって、結果的にその形がすごくメンバーも納得してくれたし、ファンの方達も凄い喜んでくれたので良かったなと思いました。

 と話していたので、発案は亀梨君なのかな。

 

シューイチのライブ密着で中丸君も、

今回はダンサーさんとかはつかないんですよ。3人というグループをストレートに伝えるためには、3人で全てを作ったほうがいいんじゃないかという意見が出まして。

 と話してました。

 

普通、人数が減ればバックで補おうとするじゃないですか。どんなに個々に力のある人でも、登場でまず「少ない」と思われたらマイナスからのスタートじゃないですか。KAT-TUNが6人の時だってバックがついていたし。それをKAT-TUN史上最も少ない「ステージにいるのが3人だけ」という状況で、それでも全く物足りないと思わない、ドームが広いと思わない、そんなステージを作り上げた3人の覚悟と度胸と実力を誇らしく思いました。


歌は勿論生歌。ずっと踊ってるのにそれでもブレない歌。ずっと歌ってる。すごいすごいすごい。私がこのライブで一番びっくりしたのが歌の安定。


去年のライブ “9uarter” とぜんぜん違う。 “9uarter” は、ど派手(これはいつもの事)で何でもありのお祭り騒ぎのようなライブで、すっごく楽しくてすっごく好きだったけれど、歌の部分では不満もあった。けれど、今回は全くなかった。ゼロ。


特に亀梨君はよく声が出てるし伸びるし、踊ってもブレないし。2日間ともそう。本当に歌が上手くなったんだなと嬉しかった。


あと、亀梨君と言えばMOON。このブログ名の元にもなっている小説に「午前三時の月あかりが一番赤い」という言葉が出てくるんだけども、MOONという曲はそんな感じ。魔の月が昇る。でかい。ぬうぅっと映し出された月がとにかくでかい。女性詞だからか、月のものから連想される血のいろ。長襦袢の緋色。そんなイメージ。

 

MOONはそれぞれマイクスタンドに着物を羽織らせ、女性に見立てて歌うという演出。それを亀梨君は、唇を寄せるわ手でなぞるわ押し倒すわ最後は覆いかぶさるわで。そうなったのは東京からだそうで、29日の東京初日はドームのどよめきが凄かった。なんだ何が始まったんだっていう。どよめきから悲鳴のような歓声に変っていって...


29日の方はちょっと物狂いのようでぞくっとした。禍々しいほど美しくて残酷なもの。DVD撮りはこっちが良かったな。1日はねっとりエロス。夢魔のよう。ファンは火に焼かれると分かっててもそこをめがけて飛んでくる羽虫かもしれない。KISS OF DEATHという言葉が思い浮かんだけど、この言葉の由来って「ユダの死の接吻」なんですね(今知った)。

 

このMOONについても亀梨君はラジオで、

MOONは俺もなんでこんな流れになったか覚えてないんだよね(笑)。もともとマイクスタンドに着物を着せてっていうのは自分が言って。あの曲は和の印象があるから。かといって衣装で和を着るのは中々難しかったので、じゃマイクスタンドに着物を羽織らせてみるのはどうですかってことでスタートして。最初着物屋さんみたいに綺麗にパシッと着物が飾られたんだけど『もう崩しちゃって!雰囲気があればいいから』って言って崩して。で女性に見立てて。テンション上がったんでしょうね。初日やったもんだから2日目3日目もやった方がいいなと思ってやったんだけど。初日はテンションあがったんでしょうね。あんまり記憶ないんだよね。なんで自分があの流れにしたのか(笑)。

 と話していて、この人の発想力、自己演出力は凄いなと改めて。そして記憶がないというのも納得できるくらいなんか憑いてた。29日は。

 

ちなみに上田君はマイクスタンドをかついで歌い、中丸君はマイクスタンドを放置して歌ってたそうだけど、亀梨君しか見ていなかったのでライブDVD出たら確認します(ごめんね)。

 

歌に関しては上田君も今までとは声の出し方が違うみたいに強い声が出ててびっくりした。3人の声質だとどうしても亀梨君の声が強くなってしまうと思っていたけど、この声があれば大丈夫かもと思えた。GOLDやTHE D-Motionで中丸君の低音が聴けたのも大きいかも。

 

RAYはバクステで一塁側、正面、三塁側と三方に分かれて歌い、正面が上田君。ナイス配置。RAYは私にとっては上田君の曲なのです。歌もいいけどダンスも良い。自由に踊る上田君を見て、振付師がアーティストの自由を奪っちゃあダメなんだなあと改めて思う。ちょっと人を食ったように踊る。茫然とペンライトを振るファンをせせら笑うかのように踊る。

 

1日の私の席はちょうど正面の上田君と三塁側の中丸君の間だったので、上田君と中丸君を交互に見てました。中丸君のダンスもちょーかっこいいんですよ。上田君のダンスとはまた違う細かくて指の先まで意識の行き届いたダンス。

 

STAR RIDERでレーザーを操るダンスも良くて。手を交差させたり、細かく動かしたり、ああいうダンス得意だし好きなんだろうな。自分の手の美しさを分かってるのかなあ。分かってるんだろうなあ。これで猫背さえ治れば... と思わずにはいられない今日この頃。かっこいからこそ思う。

 

上田君と中丸君のダンスを交互に見ているうちに、初めてロバ丸にシンメを感じました私。すっごい今更でごめんなさい。シンメとはいくら仲が良くてもステージ上でパフォーマンスとして正しく機能していないと魅力を感じなかったんですよ。正しく機能とは対という事。今回は上田君がよく踊ってたからかな。並んで踊っていたわけでもないのにすごくシンメ。ビジュアルのバランスもいいし。

 

フロートに乗り肩を組んで歌うKAT-TUN最後のシンメ、ロバ丸。もう一方のフロートには最初にシンメを失った亀梨君。鼻の奥がツンとなりながらも3人てそういう数字なんだなと寂しく思いました。誰かコンビになるともう1人がぼっち。そういう今まで気にならなかった部分が気になるようになるんだね、アイドルは。シンメと絶対的エースで分かれるのは自然なのかもしれないけど寂しい。

 

中丸君は最初声が少しきつそうだったかな。でも、いつも最初は力みがちな歌いだしで、だんだんこなれて良くなっていく印象だったけど、今回はそれほど力みを感じなかった。どなたかの感想で、テクニックでカバー出来る歌い方になってたとあったけどそうかもしれない。

 

さっきも書いたけど、中丸君はGOLDやTHE D-Motionの低音が素晴らしくて中丸君の低音担の私は大いに喜びました。GOLDで歌った時の歓声はすごかったな。皆さん低音好きよね分かります。THE D-Motionでも赤西君のパートを元verのまま歌って嬉しかったし凄く良かった。

 

THE D-Motionで花道を練り歩くKAT-TUNのかっこ良さは6人の頃から変わらない。

 

4人のKAT-TUNが四神だったなら3人のKAT-TUNは三神でしょうかね。三神一体。なんて言葉を思い浮かべながら見ました。

 

宇宙原理の中でブラフマーは創造を、ヴィシュヌは繁栄維持を、シヴァは破壊を担当する。三神は宇宙原理の3つの顔であり、究極的には三神は一体のものである。だそうな(←詳しくないので帰ってから調べた)。

 

春夏秋冬はドームのどこかで田口君が頬杖ついて見てるような気がして、切なさが最高潮に。歌うパート増えたねみんな(涙)。

「何げない 日々のこと 笑ってまた 話せるように」

 

In FactやKISS KISS KISSのイントロが流れただけで「キタキター!!!」って上がる感じはなんなんでしょう。

 

In Factは全身の血がドクドクと波打ち、リズムが地続きでお腹に響く、というのはcome hereの時も書いたけど、アリーナでなくてもそうだった。ライトサーベルで戦ってるみたいな緑のレーザー。いつかやられるきっと。

 

KISS KISS KISSでドームが一気にキャバレーになりました。イントロで目の前がカッと赤とピンクに染まる瞬間。バズ・ラーマンムーラン・ルージュみたい。享楽の夜の王国。妖しく誘う高級娼婦たち。夢と現実が交錯する大人のファンタジー。美しも儚い乱痴気騒ぎ。あああ、好きー!

 

KAT-TUNのライブは、ラスベガスと言ってた人もいました。わかる。

 

TRAGEDYが今年の曲なんて信じられないわー。ドームだと曲の突き抜け感が倍増。研ぎ澄まされたKAT-TUNがそのまま空高く飛んで行きそう。

 

UNLOCKは、すべての特効をこれでもかというほど使ってて宇宙戦争みたいだ。間奏の暗転、ダンスがぞくぞくするほどかっこいい。派手すぎる特効がピタッとやむと、暗い照明の中むくむくと立ち上がる得体のしれなさ。その迫力。

 

曲自体は上がる曲というよりクールでかっこいい曲なので、ライブの山場にもってきたのが意外だったけど、最新シングル曲を山場にもってきたいという気持ちがあったのかな。その4人体制最後の曲が現時点で唯一の3人の曲につながる。

 

本編最後の曲はスガシカオさんに作っていただいた「君のユメ ぼくのユメ」。

 

ツアーの当初のセトリではこの曲とPRECIOUS ONEが逆だったみたいだけど変えて正解。

 

この曲はバラードと呼ぶには強い曲だから、アンコールよりは本編最後がふさわしい。Real Feceのアンサーソング。強いメッセージのこもった曲。夢ってリアルを手に入れた者だけが見る事の出来るものなのかもしれないね。


歌い終わって、白いコートを翻してメインステージに戻っていく3人の後ろ姿を見て、これは何の悪い夢だろうと思った。あまりにも真っ白すぎて眩しすぎて、天国みたいだ。そのまま消えてしまいそうだった。でも挨拶をする3人は人間くさくて真っ直ぐで、浄化されて昇天するのでもないと分かった(当たり前)。

 

挨拶で亀梨君が6人の名前をフルネームで言ってくれました。「KAT-TUNはこの6人で結成されたグループです」と。

 

そうなんだよ。KAT-TUNてグループ名は「結成時にメンバーの頭文字からグループ名を取った」っていうそれ以上でも以下でもない事なんだよ。今いるメンバーの頭文字を常に表してるわけじゃあないんだよ。今もKAT-TUNは6人だって言いたいわけじゃなくて、スタート地点はそこだったっていう、とってもシンプルな事。と思ってた、ずっと。5人になった時に、KAは亀梨で成立するとかジャニーさんが余計な事を言うから、いつの間にかネタのようになっちゃってたけど。

 

亀梨君の挨拶はそのグループ名と、あと抜けていった人のファンで今もその面影を追いながらもこの場にいるファンをも肯定してくれたような気がした。私は亀梨君のファンだけど、赤西君や聖君や田口君のファンのためにも嬉しかった。ありがとう。

 

挨拶の後にハグする3人は、白い子犬が離れがたくてじゃれているようで可愛かった。3人とも細いな。さっきまであんなにしっかり話してたのに、この時は稚い子供みたいだった。

 

子供のようにくしゃっと顔をゆがめて泣く中丸君。そんな中丸君を笑ってたくせに段々こみあげてきて泣いてしまった上田君。亀梨君は目を潤ませながらも強い目をして真っ直ぐ前を見ていました。この人は舞台の挨拶の時もそうだったけど、前を見る時は会場の客席のもっとずっと遠くを見てるみたいだ。


メインモニターは、ライブの始まりは大海原だったのに最後は宇宙空間のよう。3つの扉からメンバーが出ていくと、その扉の周りに映し出されていた光は彗星のようにそれぞれ宇宙空間に消えていった。

 

そして残るは二十億光年の孤独の闇(谷川さんの詩が好きです)。ああ、本当に行ってしまった。寂しい。

 

でもアンコールで戻ってきた3人は笑顔だった。ファンにも笑えー!と言った。言われなくても楽しくて楽しくておかしくなりそうだった。

 

3回のアンコールの後、最後の最後に歌ったのがPeacefuldays。6人のイニシャルをひたすら連呼する曲を、いつまでも大切にしているメンバーが大好きだ。

 

ユメの続きは充電後に。

そして充電期間が始まりました。

 

充電という決断にどこまで事務所が絡んでるのか分からないけど、このまま走り続ける事、充電、解散、色んな選択肢があったはず。そして亀梨君がTV番組で言ってた、増員というのも可能性として有りだということ。

 

選択肢が増える事はいい事だ。その選択をしないですむ方法も一緒に考えられるから。全ての可能性を考えられる人が一番強いんだ。

 

現実を見ていないとファンに夢なんか見せる事は出来ない。充電という事はグループでの露出がない事。その事でファンも減るであろう現実と、このまま何もなかったように走り続けて息切れして失速する事。KAT-TUNのクオリティを落としたくないというプライド。

 

そういったものを天秤にかけて考えて考えて充電という選択をしたんだなと思った。

 

抜けたと思った棘は、抜けずにそのまま体中をめぐり元の場所に戻ってきただけなのかもしれない。抜くのは諦めて体に棘を含んだまま生きていける体をつくろうとしているのかもしれない。2年周期という負の呪縛を解いて逆に再出発として利用しようとしているのかもしれない。

 

段々何言ってるんだか分からなくなってきましたよ。

 

「今あんたは、より高く飛ぶためにより低くかがんでいる状態なんだ」とは、SWANでレオンが真澄に言った言葉(確か)。今のKAT-TUNもきっとそう、と思うことにしました。 

 

もし、事務所の言う事を素直に聞き、リーダーを作り、ぶつかり合う事より譲り合う事を優先し、明るくポップで万人に好かれるパフォーマンスをする。という全て逆を行っていたら、こんな心揺さぶられる歌も全身の毛が逆立つようなパフォーマンスもなかった多分。それならいらない。安定の10年なんていらない。というか、もしそうなっていたら10年もたずに解散していたかもよ? だから、あなたたちは間違ってなかったんだ、と言いたい。

 

結成時から比べて人数は半分になってしまったけれど、それでも憧れ続ける後輩達がいる事、何度も死ぬような思いをしながらもついて行くファンがいる事、それが全てなんじゃないかな。

 

ただ事務所がもっと彼らを理解してくれてたら、味方がもっといたらという気持ちは勿論ある。事務所内の事なんて全て想像だけど、ファン側から見てそう思う。そうとしか思えない。これを言ったらキリがないので黙るけれど。

 

ライブを見て、こんなに素晴らしいのに、3人でも全然大丈夫なのに物足りなくなんかないのに、なんで充電しなければいけないんだろう。とまた思う。繰り返し思う。分かったつもりでもまた振り出しに戻る。

 

でも上田君がファンも戦って下さいと言った事は、そんな自分の気持ちとも戦って欲しいという事なんだろう。マスコミが解散とか自然消滅とか騒いでも、世間から「まだいたの?」と言われても、待つことを諦めない。それも戦う事なんだろう。そして本人達はもっと凄い渦の中にいる。

 

一定の条件下でしか見られない一瞬の奇跡、ダイヤモンドダストのような輝きを10年間見せ続けてくれた。奇跡の輝きを、10年見せ続けてきた事も奇跡だ。

 

不安定な時でも、でっかい打ち上げ花火を10年間どっかんどっかんと上げ続けてきてくれてありがとう。本当に綺麗だった。何人になっても、どの時代も最高峰だった。10年間最高の夢をみさせてもらった。

 

お別れの言葉みたいになってるけど、違います(笑)。10周年の感謝の気持ちです。てんくす!これからもよろしく!

 

充電という選択が未知すぎて、何をすればKAT-TUNの道筋に戻れるのか、メンバーも多分分からない。でも未知だからこそ思ったより早く戻ってこられるかもしれない。1年2年なんて自ら設定した数字に縛られる事はないんだよ。半年で戻ってきてもいいんだよ。そんな生半可な覚悟じゃないのは分かってるけど、ファンくらいはそう言ってあげたい。言ってあげたいけどその言葉に甘える人達でない事も十分分かってる。だから納得出来るまでやっていいよ。何をするのか分からないけど。おとなしくはしてないけど待ってる。

 
東京ドームで最後にみんなと見た夢。その夢の続きがまた見られる日まで。

木皿泉さんの講演に行ってきました

10月10日にNHKカルチャーの木皿泉さんの講演に行ってきました。

物語は日常から生まれる ~木皿泉 創作の秘密~

 

いらしたのは年希子さんのみでしたが、楽しいお話がたくさん聞け、サインもいただき、握手もしていただき、少しお話も出来て感無量でございました(涙)。

 

ドラマ「すいか」を見て河野Pと木皿泉さんのファンになったので、亀梨君よりファン歴は長いんです。(亀梨君は野ブタを見てファンになったので)

 

神戸にお住まいの為、講演会はどうしても関西中心になってしまうようですが、今回貴重な関東での講演会。行けて本当に良かったです^^

 

もう時間が経ってしまい記憶もあやふやなので、ツイッターでつぶやいた事を貼ります。全てニュアンスです。

 

あと、ぽつぽつと思い出すと、、、

 

「すいか」というタイトルは木皿さんが考えたものではなく、木皿さんが考えたタイトルはドラマ中にも出てくる言葉「パンプキンパンク」。これはシンデレラのカボチャの馬車がパンクしたという意味らしい。

 

初めてのラジオドラマもタイトルを「人生はタンチョウ(単調?丹頂?)ヅル」(どの漢字かカナかは不明)と考えたけど結局「僕のスカート」になったそう。

 

ドラマを書く上でテーマというものは特にない。何を書いても自分になるので氷山の一角のようなもの。登場人物は全て自分。プロデューサーはテーマよりも形にこだわる。推理ものにするとかバディものとか仕事ものにしようとか。プロデューサーもTV局もテーマは考えていない。考えてるのは文芸作品くらいじゃないかと。

 

すいかの後、プロデューサーがバラエティに行かされて、会社に行きたくなくて半分出社拒否みたいになってたそう。(もうネタのようになってますね。河野さんが飛ばされた事^^;)

 

あと山田太一さんの事、ユーミンの事、明石家さんまさんやドゥルーズの名前も出てきたり。とにかく盛りだくさんでした。

 

サインを書いて下さってる時に少しお話出来たのですが、緊張して大した事を聞けなかったので秘しておきます。 握手した時の年希子さんの手は暖かかったです^^

 

さて、もうすぐ「木皿泉〜しあわせのカタチ〜DVDブック」が発売されますが、河出書房新社創業130周年記念出版刊行予定ラインナップにも木皿泉さんの小説が。

2016年春 木皿泉 (タイトル未定/小説) とのこと。

 

もしや「波」で休載になっている「カゲロボ」でしょうか?

「波」の「カゲロボ日記」によると映画の脚本も書かれたそうで、なにはともあれ小説も映画も楽しみです^^

引っ越してきました

こちらでははじめまして。

ブログを引っ越してきました。

 

 亀梨和也君とKAT-TUNと、木皿泉さんの事もちょっぴり。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 旧ブログ

すべて緑になる日まで

 → 2016/12 追記

 旧ブログのアカウントを削除する事にしたので、過去記事もこちらに引っ越します。

 

 

音楽劇「靑い種子は太陽のなかにある」2015.8 オーチャードホール

音楽劇 「靑い種子は太陽のなかにある

パンフとチラシ_300

作  : 寺山修司
演出 : 蜷川幸雄
音楽 : 松任谷正隆  
出演 : 亀梨和也 高畑充希 六平直政 マルシア 戸川昌子 花菜 山谷初男 他

弓子 「そして、賢治さんは、暗いアパートの壁の死体のあり場所に、チョークでくっきりと目じるしの太陽をかきました。忘れないために、そしてあたしの手を握って 『靑い種子は太陽のなかにある』 と言いました」 −第二幕より−



8月17日と28日の2日間観劇しました。つたない感想を。長いです。


オーチャードホールの重厚な緞帳が開くと、そこに広がるのは異様な光景。傾斜のきつい舞台にごろごろと無造作に置かれた奇怪なオブジェ。絵画の一部になったような動かない人々。ボッシュブリューゲルフリーダ・カーロピエタのマリアとキリストもいる。(と観劇前にツイッターで教えていただいたのでじっくりと見る事が出来ました^^)


その人々が音楽とともに動き出す。銃撃音とともにバタバタと倒れていく様は戦争を思わせる。そしてまた音楽に合わせてゆっくりと絵の一部に戻っていく。


このオーバーチュアだけでもう圧巻の一言。セットもライティングも、(そんなに多くの作品を観てるわけではありませんが)蜷川さんの世界だなと思いました。


そこへ賢治登場。まず思ったのは、掃き溜めに鶴(笑)。まぶしすぎるくらいのライトを浴びて、地獄絵図のような背景から浮かび上がる賢治もある意味異様でした。スラムにいながらもはっきりと違う存在だと一目で分かる。


賢治のブルースは、泥臭さというよりは鬱屈を抱えたまだ青い青年のブルース。このブルースが実にいいんですよね。亀梨君の少しかすれた声には甘さや焦燥感が含まれていて、私はそこが大好きなんですが、ここではより深みのある声で。でもやっぱり抜けきらない青さが色っぽくて。錆ついた鉄と血の混ざった匂いのする賢治のブルース。


亀梨君が舞台用に歌い方をあまり変えていなかったのに驚いたんですが、実は本番の二週間くらい前まではもっと歌い上げる歌い方をしていたのが、歌い上げるなと言われたそうで。


「ミュージカルにはしないよ」
「歌い上げるな」
「綺麗に歌うな」
亀梨和也の歌の上手さを見せつけるために歌うんじゃない」
「ミュージカルじゃないんだから歌うな」
「もっと声枯れちゃえばいいのに」
「亀梨君は顔が綺麗すぎるから、もっと声を汚くしろ」


亀梨君が蜷川さんから言われた言葉だそうです。なるほど(笑)。


賢治がもし朗々と歌い上げていたら、賢治の苦悩の生々しさも薄れていたわけだし。蜷川さんはあえてそういう歌い方をさせなかったと聞いて納得しました。


井上芳雄さんが蜷川さん演出のハムレットに出演した時、自分は声楽を習っていたので喉に負担が ないようにいかに綺麗に出すかという声の出し方だったけれど、蜷川さんが求めるものは生々しいドロドロしたザラザラした、声なんて枯れてもいいんだくらいの声だったと、先日インタビューで話していたんですが、今回の舞台でも歌にしろ台詞にしろ蜷川さんが亀梨君に求めたのもそういった声だったんだろうなと思います。


賢治のブルースが終わると、絵画の一部だった人々がスラムの住人となって歌い踊り出す「たまげたもんだ」。夜の女たち、乞食、老貴族、鳥飼い、肉体美の男、ゲイ・ボーイ、怪力、女相撲取りといった個性的なスラムの人々。やかましくて奔放であけすけで、図太く生きるスラムの人々。荒削りで生命力にあふれた歌とダンスが素晴らしい。アンサンブルの迫力。


賢治と弓子の二人の台詞や歌は夢物語のように純粋でひたむきで、スラムの人々のそれは、コミカルだけど残酷な童話のようでもあるし。寺山修司の言葉の断片。やはりどこか詩的で美しい。そこに松任谷さんの耳になじむメロディーがつくと現代的なものが混ざる。不思議とそれは違和感がなくこの世界を作り上げていました。


高畑充希ちゃん演じる弓子の不純物の一切ないクリスタルの歌声に心洗われ、花菜さんとマルシアさんのマリーとサリーのド迫力歌バトルに圧倒され(サリーの子守歌も泣けました)、六平直政さんと亀梨君の彌平と賢治のデュエットでは父子の情と葛藤にこっちまで息苦しくなり。戸川昌子さんのおりん婆さんの腹の底から絞り出すような義太夫調の語りに身震いし、でもその内容に嫌な予感がじわりじわりと迫りくる。


事故を目撃する前の結婚を夢見る賢治と弓子のやりとりが微笑ましくて可愛くて。それだけに最後が残酷すぎて。


おりん婆さんの語る「日招き」の話が、二人に重なる。
「そして、田の畔には、血の色をしたバラが一輪咲いていたという話だよ」
「お日さまも罪なことをしなさったもんだねえ」


銃弾に倒れた弓子の胸にも真っ赤な血が。まるで真っ赤なバラを抱いているよう。
真実を明らかにする事が愛を守る事だと信じた二人の、踏みにじられた姿があまりにも悲しくて、散りゆく者の姿はゾッとするほど美しくて。


夕暮れにしか逢うことが出来なかった二人。「日の沈むまでの物語はおしまいね。これからは、日が昇るまでの物語がはじまるのね」と言って息を引きとる弓子。劇中何度か歌われる「日がもしも沈まないなら」がここでも流れる。まるでレクイエムのよう。見守るスラムの人々。


原作の戯曲を読んだ時は、賢治は弓子の死の悲しみの中にも「僕達やったよ」という満足感も含まれているように思えたんですが、舞台では、真実と引き換えに失った、その代償の大きさに打ちのめされているように思えました。死を中々受け入れらず「まだ行くな」という悲痛な叫びが聞こえてくるような。


政治とか社会とか思想とか、賢治はそんな大きなものに向かっていったわけではなくて、ただ一瞬心を通わせた朝鮮人の死をなかった事には出来なくて、みんなの幸せのためではあってもそれを見過ごすのは「正しい事」ではない。その怒りにつき動かされていたような気がします。人によっては駄々っ子のようにも思える怒り。


どうすれば良かったのか、ただ運が悪かったのか、これは起こるべくして起こったのか。それとも時代が悪かったのか。そんな時代のありふれた男女の話だったのか。この二人もまた、おりん婆さんの語る昔話に出てくる恋人達だったのか。私たちはスラムの人々と一緒に、昔々の悲しい物語を語り部であるおりん婆さんを通して見ているだけなのか。


見てる私もそんな思いがぐるぐる。そこに守り抜いた正義を喜ぶ余裕はなくて。


「靑い種子は太陽のなかにある」
「愛のために斃れた者は太陽のなかに葬られる」
結局靑い種子とは何だったのか。太陽の中には何があったのか。


もう息をしていない弓子の服を整え足を揃え手をそっと胸の上で組ませる賢治。愛おしそうに弓子に触れながらも嗚咽は止まらない。そんな二人にまた真っ白なライトが当たっている。その光はやっぱりまぶしすぎて二人とも太陽の中にいるようでした。



ツイッターでつぶやいた事もついでに。



ちなみに、河野Pは亀梨君の“陽”の部分も大きな魅力であると示したくて「1ポンドの福音」を作った。という事も追記しておきます(河野Pファンでもある私)。→こちらでも書きました。





日本でミュージカル熱が一気に高まったのは映画「ウエストサイド物語」の大ヒットからで、寺山修司もこの戯曲の初演の頃出版された「ミュージカル入門」に「日本のミュージカル」を執筆するなどミュージカルという劇表現に並々ならぬ関心を寄せていたそうです。(群像の解説より)


ウエストサイド物語にインスパイアされたジャニーさんが、野球少年4人を歌って踊れるグループに仕立て上げたのが始まりというジャニーズの、そのジャニーズの亀梨君が寺山修司生誕80年の年に寺山修司の戯曲を、音楽劇をやるというのも不思議な縁だなと思いました。


「日本のミュージカル」で寺山修司が書いていた言葉を最後に。今回の舞台はミュージカルではなく音楽劇という形でしたが。


「ミュージカルは、現在ある文学、演劇、音楽、舞踊、美術の綜合的成果として、日本人のいまのエネルギーの結集したダイナミックな舞台芸術であるべきだ」


生の舞台のエネルギーってすごいですね。

亀梨和也「離さないで愛」

夜空をそっと 抱き寄せて踊る
あたしにもっと キスして壊して


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Dead or Alive 【初回限定盤2】 収録


ライブDVDが発売されたばかりですが、亀担としては先にこの曲について書いておかねばと。後で読み返したい自分の為に。


シングルのカップリングにメンバーのソロ曲を、特典としてそのPVもつけるこの企画も「Dead or Alive」のカップリング、亀梨君のソロ「離さないで愛」で最後。これ聖君の「BLACK OR WHITE」(「不滅のスクラム」のカップリング)から始まったんですよね...(遠い目)。


KinKi Kids堂本剛君に亀梨君が直にお願いし作っていただいた曲。2002年のKAT-TUNの初めてのコンサートで披露されて以来、舞台「DREAM BOYS」などでも歌ってきた、ファンの人気も高いこの曲を音源化。そしてPVも。


「女性目線の曲を」というのは亀梨君のリクエスト。当初はKAT-TUNの曲としてお願いしたのかな?そのへんは当時を知らないのでよく分かりませんが。


今回音源化PV化にあたって、亀梨君は「PVとか勝手に作ってしまっていいんでしょうか」と剛君に電話したそうですね(少年倶楽部プレミアムより)。 「真面目やな〜と思って」と剛君も感心してましたが、それだけこの曲に込められたものを大切にしているんだろうなと。作り手の思いと歌い手としての自分の思いも。


後の亀梨君のソロ曲「1582」はこの「離さないで愛」を和風にアレンジして歌詞を書いたと亀梨君自身が話していました。


当時10代の青さの残る「離さないで愛」は、ほのかに香る蕾のような色気はあっても、大人になりかけた少女の奔放さのような印象が強かったんですが、20代後半の今の彼が歌うその曲は、妖しい美しさをたたえた艶やかな蝶でありました(大真面目)。


これ当時のキーのまま歌っているんですよね。最近の彼からすると少し低めのキー。それがまた性別不詳の色っぽさがにじみ出ていて、間(はざま)という印象を受けます。


男と女の間、夜と朝の間、陰と陽の間、靜と動の間、清と濁の間、生と死の間、色々な間(はざま)。


亀梨君がラジオで、「絆」を作詞し、そしてレコーディングした時のエピソードとして、作曲者の馬飼野康二さんに言われた言葉が今でも印象に残っていると話していました。


「君は言葉に心を込めるのが僕は非常に長けてると思うから。上手く歌おうとしなくていい。とにかく言葉を大事にして歌う、というのがきっと君の良さだから」

と。そして亀梨君は今でもそう思いながら歌っていると。


歌い方は変わっても同じように感情を揺さぶられるこの声が私は大好きなんですよね。歌にしろダンスにしろ演技にしろ、この人はつくづく表現者なんだなと思います。


危ういようでこの個性を生み出す理想的なバランス感覚。一見アンバランスに見えるその個性が生み出すゆらぎの美しさ。強さ。


その個性が枷になる場合もあるだろうけど、好き嫌いもはっきりと分かれるだろうけど、はまったら最後、ズブズブと引きずりこまれるこの泥沼感。


PVの物語仕立ての部分は、私は、籠の中の鳥(勿論囲われてた情婦的な意味で笑)だった彼が自由を手に入れるまでの話なのかなと。再生の話というか。


暗い路地裏、無国籍で退廃的な雰囲気を漂わせた部屋、気だるい夜を飛び出し、(「助けてあげようか?」というインテリヤクザ田口の手を振りほどき)、自らの足で歩き出し自由を手に入れた彼は、朝日を浴びて(PV見ると夕日っぽいけどそこは朝日で!)思う存分翼を広げ踊るのです。−The END− みたいな^^


最後の屋上で踊るダンスが本当に綺麗です。まさに「夜空をそっと抱き寄せて踊る」。
ダンスをもっと見たかったという思いもありますが、物語仕立ての演出も素晴らしいです。ショートフィルムのよう。このPVを20代のうちに残してくれて本当に良かったなと思います。

映画「ジョーカー・ゲーム」

2015年1月31日公開「ジョーカー・ゲーム


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原作 : 柳広司
監督 : 入江悠
脚本 : 渡辺雄介
出演 : 亀梨和也伊勢谷友介深田恭子
     小澤征悦小出恵介、渋川清彦、山本浩司 他




初日から何回か観に行きましたが、観た直後の感想は「面白かったー!突っ込みどころいっぱいあったけど、すんげー面白かった!!!」でした。


正直、脚本に期待していなかったのでびっくりしました。スピード感あふれる演出、そのテンポの良さ。けれども誰も置いてきぼりにさせない分かりやすさ。どんぴしゃりと流れる音楽のぞくぞくするようなかっこ良さ。絶対に2時間を切るようにしたかったと監督はおっしゃっていましたが、本当に途中だれる事もなく、あっという間の108分でした。


入江 「日本映画には最近なかなかないエンタテインメント作品になったなと思って。あと僕はトニースコットとかマキノ雅広監督がすごい好きで。短いんですよね、2時間を絶対超えない映画をつくるというか」

最初に観た時はアバンタイトル(という言葉を初めて知りました)でちょっと戸惑いました。原作のトーンとかなり違うので。でもそのアバンタイトルできっちりと原作との切り替えが出来ました。


この映画は、原作の、歴史の表に出てこない闇の部分を動かした頭脳戦による「静」のハラハラドキドキの諜報ものとは違う、洋画とはまた違った種類のどちらかと言えばアニメや劇画に近い「動」の派手な極楽スパイ映画なんだと。フィクションラインを把握できたというか。


結城中佐の登場シーンも劇画っぽい。背景にジャーンという文字が出てきそう(笑)。英国諜報員のキャンベルもわんさかと追いかけてくる黒スーツの男達もまるでアニメのキャラ。途中からスパイ映画というより普通のアクション映画のようになっているのも、「死ぬな殺すな」はどこへ?な部分も私は娯楽エンタメ映画として割り切れました。


原作者の柳広司さんのコメント(→公式HPより)


手に汗握るスリルとサスペンス。ワクワク、ドキドキ、ハラハラ。時折ニヤリとさせるユーモア。そして絶対絶命のピンチの後に訪れる逆転のカタルシス。娯楽エンタテインメント大作映画の醍醐味を堪能させてもらいました。


原作者がこんなことを言うのも何ですが、スパイという存在は必然的に“暗い”側面を抱えています。しかし、その暗さをそのまま作品にしたのでは多くの人に楽しんでもらえるエンタテインメントとしては成立しづらい。スパイ小説を書く上で苦労する部分です。


最初に映画化の話を頂いた時、危惧したのもまさにその点でした。「暗い映画にしないでください」、そうお願いしたのですが、全くの杞憂でした。

原作のいくつかの話を上手く組み込んだ構成。スリーパーの話(ロビンソン)は原作でも特に好きな話でした。


正直、女スパイはいらないと思いましたが、嘉藤は原作の「XX(ダブルクロス)」の元軍人のスパイ飛崎がベースとのことなので、そういう甘さや女性への情も、原作を膨らませていった結果なのかなと。深キョン可愛かったからいっか。


原作によく出てくるスパイのビジュアルは亀梨君にぴったりなんですよね。ただのイケメンじゃない闇を引きずったような美しさ。


例えば原作の1作目に出て来る三好は「生白い皮膚に、男にしてはいささか赤すぎる薄い唇。その唇の端がかすかに皮肉な形に歪んでいる」と。確か小柄なスパイも多かったような。


雑誌のインタビューより
−スピード感だけでなく、それが全て美しく映っていました。スパイとはこういうものだという様式美みたいなものも意識されましたか?


入江 「その様式美は、僕が意識するというよりも、亀梨くんから出てきたものだと思います。たぶん、そこは普段のアイドルとしての立ち居振る舞いが大きく影響していると思うんですけど、昔の日本映画の時代劇で歌舞伎役者さんが見得を切るのに似ていて、振り向いただけでピッとキマる感じとかは、やっぱり、なかなか普通の俳優さんでも難しいんじゃないかなと思いますね。そういうところは、演出をするにしても伝えるのは難しいんですけど、「暗闇のなかにスッと溶けていくような感じで」って言うと、フェイドアウトしていく感じをすぐに体現してくれましたからね」


この暗闇の中にスッと溶けていく感じというのは、リンがグラハムに襲われてるのを助けた後のシーンでしょうか。他にもありましたけど、あのシーンが私は凄く印象的でした。


夜中グラハム邸の居間に侵入した時の身のこなしも流れるような動きが綺麗でした。エレガントスパイ。


亀梨君の演技は拷問を受けた時に英語で話すシーンが凄かったです。地を這うような少ししゃがれた声。聞いた事のない声だったのでびっくりしました。あの時のイッちゃってる目もぞくぞくしました。壮絶な色気。三好につかみかかる時の「宣戦布告だ」も凄みがあって良かったなあ。


三好と言えば、原作の三好とは違いますが小出恵介君の役名も三好。出番は少しなんですけどすごく印象に残る役でした。ヘイヘイヘーイ!!(←観た人には分かる笑) いいな、あのキャラ^^


嘉藤と一緒に任務を遂行するのが、渋川清彦さんと山本浩司さんというのも、外事警察好きとしては嬉しかったです。渋川さんは俺俺の役も面白かったですよねー。


嶋田久作さんが軍服を着ると「加藤ー!」とつい叫んでしまいそうになるのは私だけでしょうか(笑)。


そして何といっても、伊勢谷友介さん演じる魔王結城中佐の存在感。軍服似合いすぎ。右腕役の小澤征悦さんと並んでいると、亀梨君の中性的な毒のある色気とは別の、大人の男の色気がすごいです。2人とも。洗練された色気に圧倒されます。柔道の訓練を見ている結城は魔王というより死神のよう。キャスティングが絶妙ですよね。目福目福^^


アクションは大掛かりな爆破アクションも迫力があっていいんですが、個人的には路地裏のアクション、まわりにあるものを使ったプロジェクトA的なアクションが好きでした。アクションはその日の朝に指示されてその場でやってみる事が多かったようですが、十分な準備期間もないままあそこまでアクションが出来るなんて、やっぱり身体能力のずば抜けて高い人だと改めて。


多くの突っ込みどころは笑いながら突っ込む事で楽しめましたが、2つだけどうしても残念だったところが。見取り図と着火の部分。


監禁部屋のすぐ横に堂々と見取り図が貼ってあるのを怪しまないのは、まあ新米スパイの嘉藤さんだからとして、それを逃げる時に剥がして持って行き、途中見ながら逃げるというのは「???」となりました。


訓練を受ける前のテスト段階でクリアしてた記憶力はどうしたの嘉藤さん。スパイの能力の根本を揺るがす問題(大げさだけど)。その軸はブレて欲しくなかったなーと。


導火線状に撒かれた火薬の途切れた部分に写真が偶然落ちてくるというのは私の中では「有」です。ただご都合主義は最後の最後にただ1回だけ使えるカードだと思うので、その前のライターでの着火はもう少し嘉藤さんが狙ってつけたようにしたら良かったのに。


投げたライターがたまたま火薬のところに落ちて着火して、途切れて、そして途切れた導火線にたまたま写真が... たまたま多すぎ^^; 偶然に重なる偶然は「なし」だなあ。


そこをもうちょっと工夫してくれたら、後は、思惑通り火薬に火をつけたけどトラブルがあって火が途切れた、そこへ運良く写真が落ちてきた。運が味方するのはアクション映画につきものじゃなーい、と言えたのに。その2つだけが残念でした。


スピード感溢れる演出が際立ってますが、要所要所のいわゆる伏線はとても分かりやすい。子供から大人まで同じ場面で「ああ、あそこがここで」とすぐ繋がる。


最初からバラしてる盗聴器に、耐火シーツをあそこで干してたとか、割った瓶とそれを踏んだ靴音を大きめに入れてるとか、親切すぎる防弾防刃ベストの映し方とか、サブリミナル効果のように残る落としたライターの映像とか。


最初の訓練での「敵に捕らえられた時にどうするか」という答えが後々実戦で出て来る。問われた時に間違えた嘉藤が教えを正しく実践し、結城が言った「死は最悪の選択だ」を嘉藤が引き継いでつぶやく。分かりやすい。


監督は子供の頃に映画を観た時の興奮を今の子供達にも同じように味わって欲しかったのかな。そしてアクションに疎い女性にも等しく。なんて想像したり。亀梨君が言っていた「性別、年齢問わず楽しめる映画」とはそういう意味かと。


そしてきっとどの年代の人も思った最後の「これルパンじゃん!」という突っ込みまで含めて。最後遊びすぎですよね監督(笑)。


その突っ込みに応えるように流れるテーマ曲のあの爽快感、高揚感、最後はやっぱり持っていく魔王結城の計算高さ。


スカッとして気持ちのいいラスト。映画は1人で観るのが好きな私ですが、観終わった後「面白かったね!」と言い合う相手がいない事を久しぶりに寂しく思った映画でした。